愛以上、恋未満。

アイドルに胸張って生きてる人たちを胸張って応援するブログ

佐野晶哉って一発変換で絶対出てこない。

佐野晶哉さん、21歳のお誕生日おめでとうございます!!!

 

すっかり書き始めるのが遅くなってしまいましたが、ここで沼落ちブログを正式に書いたこと、そういえばなかったな…と思ったので、改めて私と佐野晶哉の1年間の攻防を認めていこうと思います。

 

そもそもの始まりは去年書いたブログにしっかり書いているので*1、今回はその続きのお話を。

tgszr15.hatenablog.com

 

2022年5月某日。

彼の出演する映画の舞台挨拶がしれっと当たったため、私は映画館にいた。

もう心はとっくに彼に持ってかれているけれど、必死で目を逸らしながら、今日を終えようと誓っていた。

結論から言うと、全くの無駄だった。

出演者を満遍なく見る!と決めた目線は全て佐野晶哉に奪われてしまったし、全員の話を聞く!と決めた耳は彼の声しか拾わなかった。

舞台挨拶という神聖な場に名前入りうちわを持ちこんだ前列の人々と同じ部類の人間と思われないように必死に隠しながらも、7つ下とは思えない落ち着きを見せている彼から目が離せなかった。

長年オタクをやっているからわかる。これが「恋」なのだと。

 

「年下は推さない」という信念はいつからか私の内面に勝手にできたルールで、そう思った大きなきっかけがあったわけではない。

けれど、なんだか、人生を消費しているという感覚が強く出てしまって、踏み切れないでいた。

佐野晶哉を推しにする過程で一番の障害が「年下」だった。

彼が分岐点に立つ時、今後の道を迷う時、その足枷に加担してしまうのではないかと、そのことがどうしようもなく怖かった。

……でも、もう無理なんだろうな、と思った。

映画館を後にした私は、正式に佐野担を名乗り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

…冒頭部にしては重すぎませんか!?!?

 

 

 

 

アイドルやめる時のテンションじゃん何これ…

そうして私の佐野担生活が始まったわけですが、

冷静に考えれば、年下といえど彼ももう20歳を超えた立派な大人。

自分の選択は自分でできるし、なんなら私よりも遥かに立派に生きている。

ジャニーズという芸能最前線(と私は思っています。)で毎日いろんな才能に囲まれて、刺激をどんどん吸収して爆発させていって、見るたびに成長していく。

そんな過程をリアルタイムで見られる喜びが一時期の迷いを上回っていました。

 

7月に出演する予定だったSummer Paradiseは中止になってしまったけれど、

代替公演として9月に初めての単独アリーナライブ。

その発表があった次の日には、先輩のステージでバックを踏んで、幸いにもその場で見届けることができました。

 

8月10日。ジャニーズWESTのドーム公演。

私の大好きな、なかなか聞けなかった曲を彼らが演奏してくれて、そこで初めて「楽器を持つAぇ!group」との邂逅を果たした。

メインステージからかなり遠かったけれど、私の大好きな彼は、ステージの一番奥で幸せそうに笑いながら、激しくドラムを叩いていた。

ああ、いい夏だ。きっと忘れられない夏になる。

そう思えた瞬間だった。

 

そのまま次の曲はバックのJr.として外周を回った。

直立しても私より30cmほど大きい彼は、その図体のデカさをさらに強調するように激しく動き回っていて、正直とても怖かった。

え、マジでこっち来ないでほしい。怖い。やめてやめて。怖いから。来るならもっと静かに歩いてきて。デカいし激しい。やめて。来ないで。

アリーナ席じゃなくて本当によかった。

これが自担として初めて彼を見た時の最大の感想だった。こんなはずじゃなかった。

 

 

 

9月28日。初めての単独アリーナ公演。

単独どころか関ジュのライブを見るのが初めてで本当に緊張したし、正直何も鮮明に覚えていない。

ちなみに自席はスタンドだった。安心した。

何がとは言わないが、とても安心して見られた。

はっきりと覚えているのはその日初披露された彼らの自己紹介ソングと、ジャニーズWESTの神山くんに提供してもらった曲。*2

 

自己紹介ソングは彼が作曲、メンバーで作詞した曲で、メンバーごとに曲調が変わる、一曲で6曲分くらいの個性溢れた曲。

一発では覚えられなかったけど、くるくる変わる曲調はまるでパレードを見ているようで、不思議な感覚だった。こんな曲が作れるなら、彼はジャニーズの枠に収まらないのでは…もっと広い世界を見たいのでは…と少ししんみりしてしまったのは前述の「年下自担への後ろめたさ」からくるものだろうけど、彼が音大に進んだのは「作曲を学んでグループに還元したい」だった。

彼の望む道がこのグループなら、願ってもないことだし、安心して応援できる。

若手ジャニーズのオタクにとって「安心して応援できる」ことがいかに大事なのかは、きっと同志になら伝わると思う。

そんなこんなで「出会っちゃったのが運の尽き、俺らにしかもう満足できなくない?」なんて歌詞を入れてしまうあたり、本当にニクい人たちだなあと思うし、実際その通りなので悔しい。

私が兼ねてから加藤さんと勝手に交わしている「好きになりすぎない」を簡単に突破してしまう彼らには、もうどう抗っても無駄なのだと思う。

 

神山さんの提供曲はもうとにかくなんかすげえエロかった。

(前文の情緒が台無しになってるのわかってて書いてる?)

 

20にして30前後の色気が出せる佐野晶哉、マジで何??何食べたらそうなんの???

今度色気分けてほしい。「色気分けて」うちわ作ろう。聞こう。これはマジで。一回聞いた方がいいと思う。

 

12月21日。彼らが持つ冠番組*3の舞台。

 

今までは番組収録用に1度しかやらなかった舞台を有観客(まあ厳密にいえば収録も有観客なのですが…)でやるという試み。

とにかくエンタメ性に溢れていて、でもちゃんと難しすぎないメッセージ性はあって、久々に頭を空っぽにして挑める舞台現場だった。

本当に楽しくてあっという間で、彼らのことがまるっとさらに大好きになった。

この舞台でも、晶哉は作曲をした。

つくづく思う。デビューもしていないのに、こんなにコンスタントに曲を作らせてもらえる環境、実はとっても恵まれているのでは??と。

事務所に推される干されるの話はよくわからないし、わたしたちが直接できることは何もないのでよくわからないままにしようとしているけれど、「本人がやりたいことをやる」という環境にまた少し安心した。

そしてまた、安心して彼の才能に惚れ直した。

 

 

そして2023年3月からはじまる初めての全国ツアー。

おかげさまでご縁があり、足を運べることになった。

きっとまた私はここで恋をする。彼に、何度でも。

 

そしてきっと来年の3/13に思っているのだろう。

「佐野担になれてよかった」と。

 

佐野晶哉さん、お誕生日おめでとう。

この一年が去年の一年よりも遥かに実りのある、素敵な輝きを孕んだ1年でありますように。

 

 

 

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余談ですが、このブログを書くにあたって「まだ私正式に晶哉の沼落ちブログ書いてないんだよね…」とマブのオタクに伝えたところ、

「え?書いてたじゃん。noteで。」

と返されて戦慄しましたね。

note.com

 

書いてたし冒頭で佐野担宣言してるね。

書いてたことも書いてた媒体も覚えてるマブも全く記憶がない私もどっちもめっちゃ怖い。

(久々のエントリーをホラーで締めるのやめれる?)

f:id:tgszr15:20230319215249j:image

 

 

 

*1:しっかり書いてる時点で好きって認めろよとか言わないでくださいこれでも必死に抗った結果なんです

*2:他人行儀な書き方をしていますが、彼も私の自担です。

*3:THE GREATEST SHOW-NEN:毎回演出家とタッグを組んで舞台をやる番組。つまり舞台仕事があろうと無かろうと一生舞台稽古と本番をやってる。なんなんこの人たちのキャパ。人生2週目?

「幽霊はここにいる」は本当にフィクションなのか

久々に観劇ブログを書きたいと思います。
直前に書いたのが加藤シゲアキに狂わされたNEWS大好きオタクの2万字狂気レポ」*1だったのでテンションの切り替えが分からん…。

 

今年も色んな舞台にご縁がありましたが*2、この舞台はちゃんと記録として残しておきたかったので、ちょっと真面目なエントリーになりますが、お付き合いください。(いつもがおかしいということには気づかない)

 

はい!というわけで!(編集点)

まず、見てない人向けにあらすじを。

 

ある事件の時効を待ち逃げ回っていた詐欺師の大庭三吉は、いつも近くに幽霊を連れて歩いている深川という青年に出会う。青年の連れている幽霊の身許探しに便乗して「幽霊の写真を買い集める」という商売を始めた大庭の噂はたちまち町内をかけ巡り、この幽霊ビジネスはどんどん大きくなっていく。

ビジネスの拡大に比例して、深川の連れている幽霊の要求もどんどんエスカレートしていき、やがて「結婚して市長になりたい」と言い始める。

頭を悩ませる一同の前に突然「深川の母」と名乗る女が現れて・・・

 

 

 

 

 

 

で、まあこの母と一緒にやって来たのが本物の深川啓介なんですけどね。(容赦ないネタバレ)

ずっと深川(仮)が見ていた「幽霊」というのは完全に彼の幻覚で、実際に死んだと思っていた友人は生きていた。

もう少し解説が必要なので、ちょっと細かく内容を書きます。

彼は、ここにやって来た経緯このように説明します。

 

戦時中、ジャングルのようなところに逃げ込んだ深川友人は中身の少なくなった水筒をめぐって疑心暗鬼になった。

決着をつけようと、コイントスをしたところ、友人が勝ち、深川はその友人がいなくなるのをじっと待っていた。

だがその友人は正気を失ってしまっていた。

仕方ないので水筒をもらって一人ジャングルを抜け出ししばらくすると、友人が幽霊になって現れた。

 

しかし、実際のところはこう。

 

深川と名乗っていた彼の本当の名前は吉田で、コイントスで勝ったのは吉田。正気を失ったのも吉田で、彼はパニックのあまり、自身と友人の立場の記憶を入れ替えてしまっていた。

本物の深川は気の狂った吉田を背負いジャングルから抜け出した。ジャングルを出た途端捕虜になり、お互い行方知れずに…。

 

深川はこうも話します。

 

「幽霊になった友人を家に連れて帰ろうと、実家に行ったものの、家族は受け入れてくれず、説得を試みたがとうとう監禁されてしまった。監禁先からやっとの思いで抜け出して来た。」

 

本物の深川はこう話します。

 

「幽霊になった友人の家(=吉田宅)はつまり自分の家だった。」

 

自分の家に帰ったのに自分自身を深川だと思い込んでしまっているせいで息子の帰還を喜んだ家族とは話しが噛み合わず(ここを詳しく説明しすぎると違和感がバレてしまうのでうまく濁したのはめちゃくちゃ上手いな…と個人的に思いました)、やがて精神を病んでいると判断された家族によって精神病棟に入れられてしまった。

…というのが私の想像です。

今と違って昔の医療では精神疾患への理解が桁違いに低かったと思うので、彼の言っている通り、「監禁された」という状態だったのでしょう。

 

 

・深川の服装について

→周りの人間は裕福になっていくにつれてどんどん煌びやかになっていくのに対して、深川だけはずっと軍服のまま。

これはずっと過去に囚われ続けていることの象徴だと思いました。ひとりだけ時が止まっている。「幽霊は死んだ時の服装で彷徨い続ける」→深川の身なりそのものでちょっとゾッとしました。でもたしかに「吉田の中にいる深川」は軍服のまま彷徨っているはずなので、正しい状態ではあるんですよね。そういう部分の辻褄が合ってしまっているところが余計に、幽霊の信ぴょう性を高めている気がします。

余談ですが、深川の軍服、名札の名前の部分だけが黒く汚れて読めなくなってるんですよね…。

「コイツ、深川って名乗ってるのに名札には吉田って書いてるぞ…。」と誰一人ならなかったのはそういうことだったんですね…。見つけた時「伏線だ…」となりました。

 

・幽霊に振り回される深川

→「幽霊は壁を通り抜けるどころか、壁にぶつかることだってできない。」そう言ったのは他でもない深川自身なのに、彼は“友達”に手を引かれたり殴られたりしている。不思議です。

深川がいかに幽霊で周りを振り回し、同時に自身も幽霊に振り回されていたかが分かるポイント。

 

・幽霊ビジネス、結局利益はどう出たのか

→ここが1回目で全然腑に落ちなくて、2回目でようやく少し理解できた部分。

写真を買い取ることがメインの事業でどうしてここまで利益が出るのでしょうか?

写真の買い戻し?一部はそうでしょうがメインは違います。

最初の「何に使うか分からずにやって来た老婆」はそのケースでした。

「幽霊を呼び戻すようなことに使うのであれば、返してほしい」→250円で売った写真を1000円で買い戻しました。大庭たちは750円の利益。

ただ、話が広がって用途がわかっているのに買い戻し前提で売りに来る人はいないでしょう。

おそらく、この幽霊ビジネスの利益元は2つ。

・写真の買い集め事業によって立った「噂」で得る副業収入。

「幽霊に治療してほしい」「幽霊を探偵として使いたい」「講演会に出てほしい」

そんな話が次々やって来ました。深川が“通訳”をするだけでお金が入ってくる簡単なお仕事です。

 

そして、これは私の推測ですが、もう一つは

・写真の買取における“手数料”

幽霊ビジネスが話題を呼び、買い取りの依頼はどんどん増えていきます。

次第に大庭のもとでは対応出来ない量に……

そこで登場するのが周旋屋(斡旋業)です。

彼らに依頼することで彼らの取り分が必要になります。

この手数料が高額だったのでは…と思います。

 

日本宗教連盟の男がやって来た時、大庭は「売る方なら周旋屋さんに任せてあるからここでは引き受けられない」と言っていました。

こうして代行費と銘打った手数料をふんだくっていたのでは…。と思います。

並のビジネスマンならまだしも、「火事場の灰でも金にする」大庭ならやりかねない…。

後半に出て来た女性が「修正を待つ枠」を12,3万で買い取ろうとしていたことを考えると、この修正作業も相当な人気だったことが伺えます。

「修正を待つ枠」ってなんやねん。ジャニショの入場整理券か。

 

・新聞記者たちとの関係

→一つ勘違いしていたのは新聞記者たちとの関係性。

初見では、彼らと大庭は敵同士と思っていました。彼らは大庭の悪事を暴こうと、何年も彼の消息を追っていた。だから大庭が彼らの前に現れたとき、大慌てで彼の身辺調査を行った。

…でも実際は「悪事を共に働いた共犯者」ではないかと思います。彼らも大庭のビジネスが詐欺であることを知っていて、でもお金になるからと片棒を担いでいた。

しかしその悪事がバレて大庭は罪に問われ、彼らも大慌てで共犯関係を切ったのでしょう。

大庭が戻ってきたことで、そのことが公にならないかヒヤヒヤしている…それで見張りをつけてみたものの、どうやら新しいビジネスが始まっていて、それに乗っかる形で大儲け。結局何度痛い目を見ても彼らのあくどさは変わることがないのでしょう…。

 

・大庭は幽霊の存在に気づいてた?

→電話をかけるシーン。綿密に打ち合わせをしていたのは、彼が「心の底では幽霊を信じていなかった」ことを象徴しているのだと思います。

本当に幽霊の存在を信じていたら、「その場にいる幽霊が深川に伝言すること」に頼りきっていたはずです。

結局彼にとっては幽霊はいてもいなくても変わらないのだと思います。

「幽霊が見えるという深川」がいれば、それでお金になれば、それでいい。

ある意味一番潔くてはっきりしたキャラクターだなと思ってしまいます。

 

・深川に悪意はあるのか?

→一番のポイントは深川に悪意があるか?ということ。

人を騙そうという悪意のもと彼が動いていたら、きっともっと早くボロが出て“悪者”にされていたでしょう。

幽霊は、言ってしまえば彼の妄想ですが、そのことに1番苦しんでいたのは彼自身。彼は加害者であると同時に被害者でもあるわけで。

全てが終わった今、事実だけを客観的に見ても彼を責める気には私はなれません。

 

 

・これは、戦争の話なのか

全体の総括に入っていきますが、この舞台の初演が1957年、終戦から12年ということに衝撃を受けました。

戦争で人々の心の傷もまだ深いうちにこんな戦争のトラウマをキーにした演劇をやってしまうのかと。

主人公の深川は、心優しい青年で、その心の優しさゆえに戦争で大きなトラウマを抱えて帰って来ました。

彼の頭の中ではずっと空襲の音が鳴り続け、目を閉じれば、爆弾で焼かれた荒地が広がっている。

 

そんな彼も幽霊の幻覚から解き放たれ、「一人きりになること」に成功しました。

本物の深川に連れられ、大好きなお母さんと相合傘をして帰路につく。

めでたしめでたし。ハッピーエンド。

 

 

 

本当にそうでしょうか?

 

 

 

彼が今後もあの悪夢のような幻聴と幻覚を一生思い出すことなく生きる

…というのは残念ながら不可能でしょう。

精神疾患には「全快」という言葉は存在しません。

寛解。症状がコントロール出来ている、という状態が限界です。

きっとこの後何十年も同じような状態に苦しむことになるし、もしかしたらまた“友人”が現れるかもしれません。自分が深川であると信じて疑わない状態に戻るかもしれません。最後に見せたあの苦しみの表情は、そんなことを予感させるのに十分すぎる余白がありました。

 

こんなふうにトラウマを多くの人に植え付けて、終戦後何十年も人々を苦しめる戦争はよくないね!やめようね!

もちろんそのメッセージはあるでしょう。

 

 

 

 

でも、本当にそれだけでしょうか?

 

 

 

 

これは「戦争」という特別な体験をした人たちのフィクションか、もしかしたらノンフィクション…でしょうか?

戦争がなくたって、同じように大きなストレスを抱えている人はたくさんいます。世界中に、日本中に、劇場のある渋谷中に、そして、もしかしたらあなたの隣にも。

 

この話自体はとても特別に見えるけれど、深川のような人は、きっと現代にもたくさんいると思うのです。そして彼らは「戦争」というわかりやすく大きなストレスでないからこそ、周りから見えづらい苦しみを抱えているんじゃないかと、そういう意味では深川よりも辛い立場にいるのではないかと、そんなことを想像しました。

 

この舞台をこの令和で再演する意味。

戦争は絶対に繰り返しちゃいけない、それはもちろんだけど、同じように幽霊が見えてしまっている人に寄り添える優しさを

そんなメッセージも込められているという私の推測でこの所感を締めたいと思います。

深川が本当に行きたかった世界をせめて私たちは私たちの世界で作れるように。

 

 

*1:通常運転

*2:内容的にネタバレ厳禁な舞台だったので、公開は大千穐楽が終わった1月の予定ですが、個人的千秋楽が先日終わったので、12月に書いています。

その音は幸せの味がした。(NEWS「音楽」ツアー参戦備忘録)

 

 

え???NEWSの「音楽」ツアーってもう見れないんですか???????

 

本当に嫌すぎる……あと10公演は入りたい……

 

 

……うそ。死ぬまで入りたい。

 

後述しますけど!!!正直私こんな気持ちでオーラスを迎えるなんて思ってもみませんでした!!

NEWSの熱なんて!!!もう落ち着いたとばかり思っていたので!!!!なんなんですか???ズルくないですか?????

「どうして私はいつまで経ってもシゲくん(NEWS)のことが好きなんだろう…」になっちゃったじゃないですかどうしてくれるんですか(突然のにゅす恋芸やめろ)(なんで当初シゲ担じゃなかったのに加藤ルートのセリフをこんなに鮮明に覚えてるんですか?)

 

ということでノリと勢いだけで書いたレポブログ、もとい殴り書きをお楽しみください。

 

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私は、NEWSが好きだ。

私は、NEWSが好きだ。

もうかれこれ15年になる。お世辞にも安定しているとは言えない彼らの環境を見つめながら、また今年もこうして周年をお祝いすることができているのは当たり前じゃないと噛み締める。一度も面と向かって話したことなんてない人を15年も見つめているのか。もうそれは四捨五入したら知り合いなんじゃないかという気もするけれど、決して知り合いにはなれない。そんな彼らが好きだ。

 

私は、NEWSのバランスが好きだ。

大ボケ歌うま戦士の増田さん、

天然ボケ気遣い戦士の小山さん、

全力駄々っ子インテリ戦士の加藤さん。

(ネーミングセンスどうなっとんねん)

それぞれがそれぞれにしかないギャップを持っている。きっともう独り立ちしても十分やっていける3人が、敢えて「NEWS」という器にこだわり続けている。そんな彼らの必死さが好きだ。

元来バランスが一番いいとされている三角形になった3人の、誰か一人でもズレたら崩れてしまうような絶妙なバランスがどうしようもなく好きだ。

誰かがボケれば誰かがツッコむ。誰一人トーク内での「役割」を持たず、自由に話しているだけなのになぜかうまいことまるっとまとまる。本当はお互いがお互いのことを、ファンが気づかないくらいさりげないところでフォローし合っているのかもしれないけれど。そんなことも感じさせない、3人のバランスのとれた関係性が好きだ。

 

私は、NEWSの歌声が好きだ。

私の追っていた声がなくなっても、彼らの魅力は1ミリも消えることがなく、むしろ私の大好きな声のままでいてくれる。

人数が減ってもなお、同じクオリティを保って、なんならそれ以上を目指している。

そんなことが容易でないことくらいは私にもわかるけど。多忙な中、その声を衰えさせることもなく、ただ「NEWSの歌」としてのブランドを、プライドを守り続けている。そんな3人から出る歌声が好きだ。

まっすーの柔らかくて全体をまるっと包み込むような中〜高音、

慶ちゃんの、身体の芯に響き渡るような低音、

加藤さんの声は時に鋭く、低音〜高音までを幅広くカバーしている。

この三重奏は、きっと他人が人数で戦っても敵う余地もなく、「この3人でなくては」作り出せない芸術品。そんなナマモノの骨董品を、毎回タイムラグなく摂取できている私は、やっぱりどう考えても世界一の幸せ者だ。

 

私は、NEWSのファンが好きだ。

ここ数年、掛け持ちを始めて気づいたことがひとつある。

NEWSのファンは、やっぱりどう考えても優しい。規定外のうちわや指定されていないキンブレの少なさ、銀テを回りに配る気遣い、会場までの交通機関のマナーの良さ、体調不良者にすぐ気づいて対処出来る行動力……。

コンサートなんて、言ってみればファンの戦争だ。あの子よりも私が、快適に過ごしたいしいい待遇を受けたい。そう思うのは人間として少しも不自然なことではないのに、NEWSのファンにはそういったものを1度差し置いて、自分の周りも楽しめるように、気を回している人が格段に多い。

きっとそれは、NEWSが「全員が楽しめるライブ」を寝る間を惜しんで血や涙を飲んで懇切丁寧に作っているからなんだと思う。

何度でも書きたいし何度でも外部の人に伝えたい。こればかりは、メンバーがいくら口に出してもファン自身が意識しないと変わらないことだから、だからこそ誇らしい。

会場の隅から隅まで全員が楽しめるように。そういう精神を自然と持ち合わせているNEWSのファンが好きだ。

 

私は、NEWSのスタンスが好きだ。

ファンとの距離を近づけつつ、でも絶対に手の届く場所には来てくれない、そんな彼らの距離の保ち方が好きだ。

私の自担は以前ブログで「やりたいこと」と「求められていること」のバランスについて語っていた。ファンが求めていることと自分達がやりたいことにギャップが生じることがある。そんな時、彼が取るのは「ファン」ではなく「メンバー」だと言い切った。

安心してこの人たちについていっていいんだと確信した記事だった。

ファンの声を一切聞かずに自分達のやりたいことをやる…というのはただの自己満足でエンターテイメントでもなんでもないけれど、彼らにわたしたちの声はきちんと届いている。その上で下した決断が、彼らの活動になる。

アイドルサイドが方針をブレさせてあやふやにしてしまったら、着いていくこっちも迷ってしまう。ファンに寄り添うこととファンのご機嫌を取ることは似ているようで全く違っていて、NEWSは前者を続けている。間違えることなく。

決してファンとの距離を見誤らない、そんな分別のある彼らが好きだ。

 

私は、NEWSのファンサが好きだ。

会場の1番奥からステージ最前列まで、とにかく1人でも多くの人と目を合わせ、話しかけるように、時に恋人と接するようにファンサをする小山さん。

小さい子供にも、連れてこられた(であろう)彼氏さんにも、優しく手を振って、うちわに対して沢山反応する方ではないけれど、肩身の狭い人も全力で楽しかった!と笑顔で帰れるように丁寧にファンサする増田さん。

客席を見る度にキョロキョロと目を動かして、ライブの限られた時間を使って自分ファンを見つけて大切に噛み締めるように手を振り、はにかみ、「ありがとう」と口をパクパクさせて反応する加藤さん。

3人が3種類の愛を持ち寄って会場を闊歩する、その時間が好きだ。

誰が正解のファンサ、なんてものは全くなく、全員が自分のポリシーを大切に抱えてファンと触れ合っている、あの時間をずっと見ていたいと思う。

例えその目に自分が映らなくとも、大好きなアイドルと、そのファンが刹那の愛を育んでいるその瞬間を目に焼き付けられる。そんなファンサの時間が私は好きだ。

 

私は、NEWSの優しさが好きだ。

前述した通り、NEWSファンはマナーを死守する。でもそれは、誰かに統制されたわけではなくて、お互いに牽制しあった結果ではなくて、ただそこに優しさがある。

民度の良さに慣れていない外野の人たちは同調圧力なんて言い方をするけれど、私たちに圧力はない。ただ、優しい空間にしたいという“意志”があるだけ。

NEWSは、ファンを叱らない。「いつもありがとう。マナーがいいって褒められるよ」と、褒めてくれる。「いつもトイレを綺麗に使ってくれてありがとうございます」理論と言われるこの言い方が、人の善意を疑わないこの姿勢が、私は大好きだ。私もこの姿勢で生きていたいと彼らの優しさに触れる度に強く思う。

 

私は、NEWSの余白が好きだ。

NEWSのライブは謎が多い。そのまま受け取ってしまえばなんの引っかかりもない演出も、感度を上げて見てみると少しの綻びが見える。

私には知性がないし、考察が上手なタイプでもないけれど、そういう優秀なオタクのツイートやブログを読んでハッ…とすることが多々ある。

ただし、その綻びに対して、NEWS自身はなにも言及しない。正解をくれない。見解はくれるけど、それは正解なんかではなくて、結局何が正しいのかよく分からないまま終わる。

「一人ひとりの解釈で楽しんで。」その絶妙な余白が好きだ。たった2時間半のステージでも、解釈を広げれば、想像を広げれば、その時間は無限になる。そのことを思い出させてくれるNEWSが好きだ。

 

私は、NEWSが好きだ。結成19年を経ても変わらず、今日も飽きずに“好き”の最高値を更新し続けている。

NEWSのことが、大好きだ。

君が笑顔をくれたから、9/4はシゲ担記念日

 

私は自担からファンサを貰った。

 

それは私のNEWS担人生15年の中で初めての出来事で、正直なことを言ってしまうと、あんまり実感が沸いていない。

沸いていないというよりも私に向けられたものであるという自信が持てないでいる。

 

私は元々加藤シゲアキさんのオタクではなかった。

過去記事を参照していただければ分かることだが、私は手越祐也さんのオタクを13年間続けていた。

もちろんNEWSはグループとして大好きだったし、自担以外のメンバーもそこそこちゃんと見てきたという自負はある。

そこそこちゃんと見てきたからこそ、ライブ中にファンサする加藤さんも見てきたつもりではいた。

 

だけど、それは私の一方的な片想いで、その視線が私に向けられることは一生ないと思っていた。それでいいというか、それが普通のことなんだと思っていたし、ファンサを貰える人達は私とはどこか何かが違う、特別な選ばれた人なんだという感覚が強かった。隠しきれないオーラが出ている人、顔が可愛い女の子、スタイル抜群の美人、存在感のあるメンズ、幸せそうな親子連れ…

私はそのどれでもない。

それを悲観的に捉えることもなかったし、ファンサを貰えないことは、見て貰えないことは私の中では悲しいことではなかった。

主人公になれないだけ。シンデレラではないだけで、舞踏会に参加するセレブの1人ではあるわけだし、それだけで充分贅沢なことだった。

 

手越くんはそんな私…私たちにも、自分のファンじゃない人たちにも「みんな可愛くて大好き」と嘘のない目と屈託のない笑顔で言っていた。私にとってはそれが救いだったし、それが私の中のファンサだった。彼がそう言ってくれるから、私はライブの日を自分史上最高に可愛い顔と格好で迎えたし、そんな努力が出来る自分が好きだった。

 

特別になれなくても、私が私自身を特別だと思えればそれでいい。それが私のファンサだった。

 

そんな彼が消え、ただ、私のNEWSへの想いだけ残った2020年。

自担を新しく決めることも、決めずに「好きなアーティスト:全員」で居続けることもどんな選択も彼ら3人を傷つけてしまう気がして動けなくなってしまった。このまま静かに去ることが、NEWSにとって、ファンにとって、一番害のない選択なのかもしれないとすら思っていた。

 

そんな想いを抱えながら3人のファンと同じチケットを手にすることがどうしても許せなくて、STORYは行かないという選択肢を取った。

 

終わってからとてつもない後悔に襲われたけれど、今思えば、正解だったのかなとは思う。

同担…はもう周りにいなかったし、3人のファンと行っていたらものすごく気を使わせてしまったと思う。

 

行けなかったSTORYが終わっても、まだNEWSを見ていたいという気持ちは消すことがどうしても出来なくて、好きなアーティスト欄を「加藤シゲアキ」に変えた。

経緯は色々あるけれど、きっと会場で一番目で追ってしまうのは彼だろうという直感があった。

 

ただ、ライブの日を迎えるまで本当に怖かったのも紛れもない事実だった。「いなくなったヤツの代わりに」なんて思われてないか、そんな自意識がずっと頭の中で働いていて、「シゲ担を背負えない」とことあるごとにシゲ担の友人に言っていた。(その度に「背負う背負わないの概念がある時点で誰よりもシゲ担だよ」と笑われていたけど。)

 

そんな状態で迎えたライブ当日。

(ちょっとだけ構成(演出?)バレを含むので完全ネタバレ禁止勢は一旦離れていただいて。曲は伏せます。)

 

 

 

 

ある曲でトロッコに乗り込んだメンバーのすぐ近くに私達の席があった。一番近くを通るのはなんとまさかの加藤さんで、状態が飲み込めないままトロッコが動き出した。私たちの列を横切り後ろに向かっていくトロッコの上で、彼はゆっくりと振り返った。

本当にゆっくりだったのかは分からない。これが“ファンサを貰う直前に景色がゆっくり動いて見える”というアレだったのかもしれない。

公式のうちわを持って手を振っていた(らしい)私の友人と、パニックで硬直している私に向かって、加藤さんは柔らかく笑って手を振ってくれた。「見つけた!」とか「君たちだよ!」とかそういうアクションはなかったけれど*1、確かにバッチリと目が合って、優しく柔らかく笑ってくれた。

 

 

 

初めての出来事で、イマイチ実感が持てないし、私に向けられたものであるという自信は持てないけれど、それでもあの時加藤さんは私たちを見てくれた。私たちを見て、幸せで堪らないという顔をして笑ってくれた。幸せで堪らないのはこっちの方なのに。

 

初めての出来事で、私にはそれがファンサだったのかすら認識出来なかったけど、隣にいた熟練のシゲ担が私よりも数段興奮した表情で「目合った!」と言ってくれたことで、ようやく実感が沸いた。何年も何十回も彼を見てきた彼女が言うのだから間違いない。

 

私は加藤シゲアキ担初日に、加藤さん本人に“ファンであること”を認めてもらった。そんな気持ちになって、心の奥でつかえてたものがじわっと溶けていく感覚になった。

 

 

と、ここまで書いて、ふと思い出した。

私は過去に加藤さんにファンサを貰ったことが1度だけある。

10年近く前のライブツアー。当時4人分のうちわを買っていた私は、近くに来たメンバーのうちわを掲げるというトンデモDDスタイルでその公演を楽しんでいた。

席はスタンドの前方。でも、スタンドトロッコが回ってくる構成ではなかったので間近でメンバーを見ることは出来なかった。その上リフターで上がってきた加藤さんはこちら側にファンサするどころか1番が終わるまでずっとお尻を向けていた。

ああ、終わったな……なんて思っていた矢先。

2番の「君が好きなんだ」の歌詞で振り返って、こちらをまっすぐに指さしてくれた。

確かにあの時私は加藤さんのうちわを持っていた“シゲ担”だったし、私を指さした加藤さんは言葉で言い表せないほど穏やかな顔をして笑っていた。

今の今まで記憶に埋もれてしまっていたけど、私の人生で私を見て笑いかけてくれた最初のアイドルは加藤シゲアキさんだった。

オーラなんてなくても、顔が可愛くなくても、スタイルが崩れまくってても、メンズじゃなくても、幸せそうな親子連れじゃなくたって。

加藤シゲアキのファンである”ということだけで、彼にとっては特別でかけがえの無い人になれる。

 

あの時と何も変わってない。加藤さんはシゲ担にしか分からない方法で、シゲ担としか通じ会えないコミュニケーションで“ファンサ”をしている。

 

たった数秒目が合っただけで、人1人の人生に深く刻まれてその後何年も忘れられることはない。その人の希望になったり、心の支えになったりする。歌いながらのたった数秒で。

そんな瞬間を量産しているアイドルは、彼の言葉を借りれば本当に“狂っている”。

そんな“狂っている”彼にこれから“狂わされ”ていく私の人生が始まった。

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*1:だからきっと「シゲはファンサをしない」という言われ方をするんだろうな…と冷静に分析してみる。

眼中になかったのに、視界の真ん中に来られたらもう推すしかないじゃない。

「第一印象は3秒で決まり、その後大きく変わることはない」

そんな言葉をぼんやり思い出しながら、そんなの嘘だよ……と思う。

私の第一印象は生で見たたった1つの舞台の、ほんの数十分…いや、数分で大きく変わり、私の世界を大きく変えてしまった。

 

彼の名前は末澤誠也。私が少し前から気になっていた「Aぇ!group」の一員。

何故かAぇ担が周りにたくさんいた私もそのうち興味を引かれ、徐々に現場に行く回数が増えていた。

とはいえ関西随一の大人気グループ。年末にあった単独は当然外れ*1年始にあった狼煙も見事に落ちてしまった私には彼らを生で見る機会がなかった。

単独公演がない代わりに、個人の舞台やソロコンが立て続けに発表されたので、「Aぇ!group個人面談」と勝手に称してメンバーを順番にコンプリートしていった最後の現場だった。(大晴くんだけは個人現場がなかったので、正式にはライブに行けばコンプリートだけど)

他の現場の話も追い追いしていきたいけど、概ね期待通り、予想通り。もちろんステージは素晴らしかったけど、個人の印象が180°ぐるっと変わることは、そうそうなかった。

 

 

 

前置きが長くなりました。ここからが私の沼落ちブログ兼末澤誠也くんのお誕生日ブログです。

 

 

 

 

 

 

末澤くんのことは、正直特別好感も不快感もなく、なんというか私の中では「その中の1人」という感覚だった。ただ、私の大好きな自担(神山さん)が特別気にかけている後輩*2ということもあって、きっと素敵なアイドルなんだろうな…という責任感の欠片もない印象だけを抱えていた。

今回出演するミュージカルも「メンバーだから」以上の理由はなく、知ってる人が出るなら…内容知らないけどミュージカル好きだし…という恐ろしく軽い気持ちで観劇した。

その2時間半がこれからの世界を大きく揺るがすことも知らずに…。

 

 

ミュージカルの演目は「The Boy from OZ」、1970-90年代に大活躍したオーストラリア出身のシンガーソングライターの生涯を描いた内容で、末澤くんは彼が生涯愛した恋人、という役どころ。

私がどれほど予備知識を入れずに行ったかというと、「おず…?オズの魔法使いのオリジナルリメイク…??」という勘違いを抱えたまま席に着いたほど。(流石に酷すぎる)(劇団四季見に行く小学生の方がよっぽど予習してる)

中途半端にネットから情報を拾っていたので

・坂本くんが主演で主人公のピーターアレンは同性愛者

・つまり末澤くんとはゲイカップル

・末澤くんの出番は少ないらしい。

という情報だけは認識していた。えげつない情報の偏り。いい加減にしてほしい。

そんなこんなで幕は上がり、ステージが開かれる。

一幕はピーターの生い立ちから前妻ライザとの離婚まで。二幕でやることある…?と尺を心配してしまうほどの大ボリューム。

噂には聞いていたものの、ステージ上の坂本くんはまさに「スター」という言葉がピッタリ。

ハキハキと聞き取りやすい声にスマートな立ち振る舞い、俊敏でメリハリのある動きに見とれているうちに、ダラダラとしたト書きの部分はいつの間にか終わっていて、目まぐるしく進んでいくピーターの人生が1回の観劇でもしっかりと頭の中に入ってくる。本物のスターがもつ隠しようのない引力というのは、きっとこういう類のものなんだろう。そんなことを素人の私でも考えてしまうほど…。

坂本くんの持つ引力の話を舞台内容にそって進めていくことは幾らでもできるけれど、あくまで今回は末澤くんのお話なので、一旦ここで割愛。

 

出番が少ないとは聞いていたけれど、具体的にどのタイミングで末澤くんが出てくるのか知らなかった私。一幕からアンサンブル一人一人を血眼で追いかけるも見つけられず。(そりゃそうだ出てないんだもん)

出番が少ない=ちょい役=アンサンブルも兼任しているのでは?という私の推理は玉砕。笑

そして待ちに待った二幕のグレッグ登場シーン。

ピーターの人生を追いつつも、グレッグ*3の登場タイミングがずっと気になっていた私は彼の姿を捉えた瞬間、言葉で言い表せない不思議な感情に包まれた。

ずっと彼に会いたかったような、ようやく待ち焦がれた時がやって来た時のような高揚感。

一幕に出番がなかったからプラセボ効果のような勘違いをしているだけだ。と言われたらそれまでだけれど、「ようやく会えた」という安心感みたいなものでいっぱいだった。

 

グレッグの声は末澤くんよりも低く、ハリがあって、一言発しただけで周りを威圧してしまうような力があって、普段YouTubeで聞いているような甲高い声と真逆の声に小さく衝撃が走ったのを今でも鮮明に思い出せる。(普段は甲高い声で威圧してますけども)(笑うとこ)

役を…纏っている……。

私が目の当たりにしたのはAぇ!group末澤誠也ではなく、「グレッグ・コンネル」だった。正真正銘本物のグレッグがそこにいた。

ピーターを冷たく突き放す態度を取り続け、悪態をつき続けるも徐々にピーターの調子に波長があっていき、2人はやがてお互いにとって唯一無二の存在に。

言葉にしてしまえば簡単だけど、グレッグにとってこれは一生に1度あるかないかの大革命だったんじゃないかな、と想像してみる。

あの話し方、口ぶり、言い方は悪いけどきっと交友関係は広くないし、「好かれる」よりも「嫌われる」が多い人生だったんじゃないかと思う。嫌われる経験がどんどん積み重なって彼をますます意固地にさせて、意固地で冷たい彼だから誰も寄り付かなくなって…でも、そんな彼も心の奥では“愛される”を求めていたことが徐々に分かってくる。

傷つきたくないから、ショックを受けたくないから、一夜限りで終わる関係を続けて、相手を試すような言い方を繰り返して、心の繊細な部分を全部なくしたみたいなをして生きている。

そんな何層にも塗り固められた固くて冷たい心の奥にしっかりと手を伸ばしてくれたのがピーターアレンその人だった。

もう何十年もそうやって生きてきたから言葉にこそ素直に出せないものの、彼にとってピーターが救いのような存在だったのはほんの少し、数十分のシーンの中でもひしひしと伝わった。

そして、これは期待を込めた想像だけど、そのことをピーターもよく分かっていたんじゃないかと思う。だからといって、それを逆手にとってグレッグを操ろうとはせず、ただ真っ直ぐに、愛を伝え続けた。そんなピーターだったからこそ、グレッグの心の拠り所になれたんじゃないかと思う。

 

そんな、パズルの欠片がぴったりと合わさった2人にもお別れがくる。

グレッグの出番が少ないのは、ピーターとお別れをしたからだった。恋愛上のお別れではなく、一生に1度しか来ない、“死” という名のお別れ。

せっかく運命の、たった一人の相手に出会えたのに、二人の幸せな時間はあっという間に幕を閉じる。本当にあっという間に。

エイズに罹って、死を意識したグレッグはどれほど怖かったんだろう。未来の戯曲の話を楽しそうにするピーターがどれほど遠く感じたんだろう。

それを想像するだけでも恐ろしく、深く悲しい気持ちになる。

だけどグレッグは最期の1秒までグレッグのままで、「愛してる」どころか、好意のひとつも口にせずにこの世を去ってしまった。それを「彼らしい」と表現するピーターもまた寂しそうで、少し嬉しそうで、思い返すだけで涙が溢れてしまう。

でも、言葉や行動こそ分かりやすく出さないものの、彼の真意は傍観者の私たちにもはっきりと分かる。エイズを打ち明けるシーン、ずっと強がって、緊張感の溢れる表情をしていたグレッグが、ピーターに抱きしめられた瞬間その表情をグシャグシャに崩して泣き崩れる。

ああ、なんて不器用な人なんだろう、と、愛おしい気持ちでいっぱいになったとき、「これがピーターのグレッグへの気持ちなのか」と実感として経験出来てしまった。

彼がもっと生きられたら、もっとピーターの傍にいられたら、この物語はもっと違う結末になってたんだろうか……なんて考えてしまうほどには、お目当てかどうかを差し置いて観客の視線と心をかっさらうパワーを持っていたグレッグ。本人はピーターよりも背が高かったらしく、体格も背格好も末澤くんとは全く違う。

けれどこの役は末澤誠也にしか出来ない。きっとこの役は彼だからこんなにも人の心を惹き付けてしまったんだと、贔屓目なしにそう言える。

 

 

 

グレッグが去ったのち、ピーターは意気消沈。

長年連れ添ったプロデューサーと衝突して契約解除、あんなに楽しそうに話していたミュージカルも上手くいかず、大赤字。

そんなピーターのもとに、グレッグがやって来る。

演出上なのか、夢の中に出てきたという設定なのか曖昧ではあるものの、なにはともあれ私たちはまたグレッグに会えた。

生きていた頃からは考えられない柔らかい口調と優しい眼差しに「本当にこの人は死んでしまったんだ」と逆説的に実感して悲しくなるけれど、そんな“らしくない”グレッグだからこそ、「愛してる」を口にしてくれたんだと思う。

あの世に行って、なんの飾りもないありのままの姿になったからこそ聞ける、心からの「愛してる」はほんの数十分しか見ていない私にさえ(いい意味で)大きなダメージを与えた。

ここで歌われた「I honestly love you」はグレッグの歌唱シーンの中でも特に大きく印象に残っていて、観劇後も繰り返し聞いてる。(こういう時にブロードウェイミュージカルは助かる。聞いた声そのものじゃなくても、ステージで聞いた曲をすぐに聞ける。)

生きている間に「愛してる」を言わなかったグレッグだけど、亡くなってもなお、魂が浄化されてもなお、ピーターのことを思い、寄り添い、彼の幸せと成功を願っている。どんなに鈍感でもそのくらいのことは容易に想像出来てしまうほど暖かく優しい歌声だった。

 

グレッグに背中を押されたピーターは立ち上がり、立ち直り、再び成功を納めてフィナーレ!というのがとってもとっても雑なあらすじ。

 

生死の関わらない別れという側面もあるかもしれないけれど、ライザとの別れの後とは全く違うピーターの態度から、彼にとって「グレッグ・コンネル」という存在がいかに大きく偉大なものだったかを思い知らされた二幕だった。

 

フィナーレのナンバーの中で、これまでの登場人物が総登場する。

マラカスを両手に持って軽快なステップで現れたグレッグを見て、ようやく「末澤誠也」を認識した。

物語の本筋からズレて、ようやく彼を「中の人本人」として認識できた。

それくらい、役を纏いきっていた。

 

「グレッグ・コンネルは亡くなってしまったけど、末澤誠也は今この瞬間このステージの上で生きている」その事実に気づいてしまった瞬間、どうしようもなく彼のことが愛おしくて堪らなくなった。

グレッグという役に感情移入していたつもりが、いつの間にか末澤くん…いや、誠也くんにのめり込んでいた。

始まる前まで彼のことを「すえ」と呼んでいた私も気づいたら「誠也くん」と呼び、気づいたら激重感情を末澤担(この時点で未観劇)の友人に流し込んでしまったので、かなりびっくりされた。

大丈夫。1番びっくりしてどうしていいか分からなくなってるのは私。

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↑観劇後一言だけ送ったLINE。なんの脈絡もなくこれだけ送られてきたら怖いよなぁ…とちょっと反省してる(してない)

 

そんなこんなで、軽い気持ちで見に行ったはずの舞台でまんまと末澤担(仮)になって帰ってきた。

 

1公演でも見れればいいや〜のモチベーションだったにも関わらず、この数日後にほかの公演日のチケットを探し、まんまと10日後に2回目の観劇をするハメになるけど私は全く悪くない悪いのはグレッグ。(早口まくし立てオタク)

 

そうして末澤担と話しているうちに「グレッグと誠也くんはとても似ている」ということに気づき、彼らを重ね始めてまた抱えきれない感情に襲われることになるけれど、それはまた別の話。

…本当は一気に書こうとしたけどOZの話を始めたらそれだけで大変な量になってしまったので1回このあたりにしておくことにする。

 

そんな誠也くんとの出会いから早2ヶ月。

本日彼は誕生日を迎え、私たちは同い年になった。

自担は長らく年上で、神山さんは一個上というほぼ同世代だけど、自担が全くの同い年というパターンを今までに経験して来なかったので、とても不思議な気持ちで今日を過ごした。

私の本命はあくまで佐野晶哉なので、これから私の中での彼の立ち位置がどう変化していくのかは想像出来ないけど、これからも彼のどうしようもない引力に悩まされ続けるんだろう。

それでも私はグレッグと反対に誠也くんを真っ直ぐ応援したいし、それが出来るこの環境に感謝を示したいと思う。

 

だって彼は今も生きていて、今日もステージに立ち続けてくれるから。

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お誕生日おめでとう。28歳もよろしくね。

*1:まぁ当たったとしてもその当初は周りのAぇ担に譲り渡していたと思う。去年まではそれくらいの熱量だった。

*2:と、何度も話に出てきている末澤担の友達が一瞬で沼落ちしたアイドルというのも気になっていた理由の1つ

*3:末澤くんの役名。当然私は予習していなかったので名前を知ったのは劇中です(ドヤるな)

世界は愛と神山智洋で出来ている。

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神山智洋さんへ


お誕生日おめでとうございます!!!!


私より


っていう記事を書きます(要約したら一瞬で終わった)


毎年恒例にしているお誕生日ブログ、早いもので今回で3回目になります。まだまだひよっこのド新規だと思ってた私ももう神山担3年目…なんだかそれだけで少し感慨深い気がします。


神山さんってね、本当に毎日見ても飽きないんですよ。3年目の今日だってまた新しい魅力を発見できる、本当にファンやっててよかったと思える最高のアイドルです。異論は認めますがここでは認めません。神山さんのオタクが綴る誕生日ブログの中では、神山さんが全てなのです。(激ヤバ思考オタク)

せっかくなので、私がここ1年、特に「あぁ…神山担やっててよかったな……」としみじみした瞬間を書き連ねていきます。

お付き合い頂けると…いや、ここまで読んでくれたなら最後までちゃんと付き合ってよね。(図々しさグランプリ2022受賞)

 

・ジャニーズゲーミングルーム

そう、JGRですね。もう本当にチャンネル開設ありがとう愛してるぜジャニーズ事務所(乃木坂に向かってファンサすな)

玉森くん、宮田くん、有岡くんの3人が開設してメンバーを集って始めたチャンネルですが、蓋を開けてみたら「本当はスターティングメンバーにいた…??」っていうくらいほぼ毎回出てくる神山さん。本当に誇らしいけど本音を言うと出過ぎててまだ全部追いきれてません…マジでごめん。ちゃんと見ようという気持ちはある。

あまりにも毎回出過ぎててやれ「出過ぎ」だの「仕事ないんか」だの好き勝手言ってる人がいましたが、本職の音楽活動は有り得ないペースで曲作りしてるし、JGRの活動もちゃんとグループに還元してます……直近のWESTの歌動画を見てみましょう……「JGRから来ました」の人がめちゃくちゃいる…。

多分本人もWESTチームも想定はしてなかったと思うけどめちゃくちゃWESTの宣伝効果出てる。

なんでかって「誰と組んでも好印象で終わる」からなんですよね……後輩で同じゲームの経験が浅い高橋くんには先陣切って教えてあげるし、ゲーム自体がほぼ初心者の髙地くんにはプレーしながら口頭でめちゃくちゃ世話焼いてるし*1マリカーで競ってる慎太郎には負けず嫌いめちゃくちゃ発揮しつつ参考になるところは素直に勉強になった!って言えるし、本当に誰と組んでもハズレにならない。そりゃ毎回呼びたくもなりますわ……。

ずっと「好き!」って言い続けてたことがこうやってしっかり形になって結果を残せる神山さん、本当に自慢の自担。


・黎明のPV

 

もう本当にこれはすごい優勝だった!!!!!!!!!

(初っ端から日本語不自由過ぎるけど大丈夫そ?)

 

しゃべくり007での共演以来、何度も振り付け提供を頂いたs**t kingzの皆様が振り付け担当と聞いた瞬間からもう勝ちを確定してたし、曲調も「シンメ」を強調したフォーメーションも大好きの大好きだったんですが、2番終わりの間奏で突如やってくる神山さんのソロダンスパートが本当に初めて見た時から忘れられなくて。

しなやかで、でもどっしりとしていて安心感があって、体の一節一節としっかり会話しているような、美しい身のこなしに何度目を奪われたことか。

元々アイドルは歌重視で、誰のダンスが魅力的とか、どんなダンスが好きかとか、あんまり考えたことはなかったんですが、神山さんのダンス、その空間が大好きということに改めて気付かされました。これは自担フィルターが大分かかっている気がしますが、のんちゃんのドラマ主題歌(=のんちゃんが主役)にも関わらず、この曲のソロダンスパートに神山さんが抜擢されたことに、私は未だに感動を覚えてしまいます。

まだレポ記事が完成していないけど、Mixed Juiceツアーでもしっかり振り付きで披露してくれたことが嬉しかったし、強運にも私の名義がとんでもない席を引き当ててくれて、正真正銘最前ドセンターであのダンスが見られたこと、きっと一生忘れられないと思います。

私にとって宝箱の奥にそっとしまっておきたい大切な1曲。

 

・スイーツを食べている神山さんを見た時

 

せーの!!「田辺さん!いつもお世話になってます!!!!」

 

神山さんが大好きなスイーツを食べ歩いて、ニコニコしたり、ただでさえ大きい目をまん丸に見開いたりして美味しく食べて、ロケ先はほんわか、お店の人もほんわか、スタジオもほんわか、見てる私たちもほんわか…BGS*2はほんわかの象徴。

直近の回で「田辺さんが企画会議でファンの人は神ちゃんを求めてるって言ってた」と暴露されていましたが、大正解ですなんで分かったんですかやっぱり信じられるのはジャニオタの田辺さんだけ。

なんといっても神山さんに照れる田辺さんの反応がオタクそのものなんですよね…神山担やってたことある……??信じられるのはジャニオタの田辺さんだけ。

そんな田辺さんにタジタジすることも無く、グイグイ行き過ぎる訳でもなく、ちょうどいい距離で接してくる神山さん、マジで身体中から“モテ”が溢れ出してしまってて困る。「好意を寄せられていることが分かってる状況」でのあの程よい距離の詰め方、今までずっとモテ続けてきた男にしか出来なくて怖い。知ってたよ。ダンスやり始めてた頃からずっとモテてるんだろ…「モテすぎて女の子に浮つかない」の域に達してる人だからあんなに落ち着いてるんだろ……どうしようもう本当に好き。

BGSの裏テーマは「真のモテ男神山智洋のリアコスイーツデート旅」です。本当にいつもご馳走様です。(色んな意味で)

 

(田辺さんのコーナーか神山さんのコーナーかよく分かんない章になったな…とにかくこれからもよろしくお願いしますオレたちの希望の星ことチカちゃん。)

 

 

・ファンに向かって満面の笑みでファンサしているところを見られた時

 

ジャニオタを始めた時から変わらないのですが、基本的に「自担にファンサされたい!」という欲求があまりなくて…。

だから他のファンにファンサして、その子が崩れ落ちて、それを見て笑ったりしてやったりな顔をしている自担を見るのが大好きで。

前回のツアーでは多分だけど意図的にファンサをして来なかった神山さんが、今回のツアーでは滝のようにファンサをしまくっていて、なんだかそれを眺めているだけでちょっとだけ泣きそうになりました。

本当は声も聞きたいんだろうな…黄色い歓声とか、割れるような歌声とか、本当は届けてあげたいな……なんて少し切なくなりつつも、「あなたのファンはこんなに沢山いるんだよ」と会場全体で伝えられることが本当に嬉しかった…ファン代表みたいな書き方になってしまったけどファン代表です。(みんな落ち着いて!ただのオタクの戯言よ!!)

 

・ファンサされた時

 

前章で「ファンサされなくていい」いうてたやないか!!と総ツッコミが聞こえてきそうですね…私もそう思います(ハ???)

でもジャニオタ歴10数年で初めて「うわ……これファンサじゃん……」ってなったから本当に嬉しかったの!!!!!

(ぽんちゃんはこれからMixedJuiceの某公演のファンサ話をします。あーはいはいよかったね。の気持ちで見られない人は読み飛ばしてください。そうじゃない人は読んでください。書いてるうちに感情が高ぶって泣きながら書きました。(キモ))

 

 

ファンサうちわに対する反応とかでは全くなく(というかファンサうちわ持ってなかった)目を合わせてくれたというだけの話なのですが、公演中合わせようと思えばいくらでも合わせるタイミングはあったのに、YSSBが始まってムビステが動き出す瞬間にバチっと目を合わせられたんですよ……自分が1番カッコイイ瞬間をちゃんと分かってて、私(と連番してた神山担)という緑の光もちゃんと彼の視界に入っていて、1番キメたい瞬間にしっかり目を合わせてくれたんです。

嬉しいとか興奮するとかそんな類のものではなかった。私が今日までファンサを貰えなかったのはきっと、この瞬間の貴重さを実感するためだったんだとすら思えてしまうような…「一生のような一瞬」でした。

ファンサレポでよく見かける「彼と私だけの瞬間」を体感してしまった。

彼のことを見続けてきて本当によかったな、と思ったし、きっと彼から目を離すことは一生出来ないんだろうな、と覚悟を決めました。だってきっと目を離していたら目を合わせに来てくれたことすら、気づけなかったと思うから。

これからも神山担を続けて、「気づける」オタクであり続けたいと強く強く思いました。

 

 

 

 

 

 

何度誕生日を迎えても、やっぱり自担のお誕生日はとっても貴重で、ネットの中だけでも世界中から「おめでとう」を貰っている自担を、愛されている自担を痛感しては誇らしくなってしまいます。

 

神山智洋さん、29歳のお誕生日おめでとうございます。

これからも「少し先のように見えて途方もなく先の方」を歩き続けてください。「少し先にいる」と一生勘違いしながら、あなたのずっと後ろを歩き続けます。

つい数分前まで同い年だった貴方のことが大好きな、ただのオタクより

 

*1:ちなみに髙地くんの飾り気のない素直な反応もめちゃくちゃ好き。JGRのこーち担ことぽんちゃん。

*2:る塾能界イーツ部というラヴィット!!内のコーナー。最高のコーナー。ラヴィット!!もBGSも一生終わるな。