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「幽霊はここにいる」は本当にフィクションなのか

久々に観劇ブログを書きたいと思います。
直前に書いたのが加藤シゲアキに狂わされたNEWS大好きオタクの2万字狂気レポ」*1だったのでテンションの切り替えが分からん…。

 

今年も色んな舞台にご縁がありましたが*2、この舞台はちゃんと記録として残しておきたかったので、ちょっと真面目なエントリーになりますが、お付き合いください。(いつもがおかしいということには気づかない)

 

はい!というわけで!(編集点)

まず、見てない人向けにあらすじを。

 

ある事件の時効を待ち逃げ回っていた詐欺師の大庭三吉は、いつも近くに幽霊を連れて歩いている深川という青年に出会う。青年の連れている幽霊の身許探しに便乗して「幽霊の写真を買い集める」という商売を始めた大庭の噂はたちまち町内をかけ巡り、この幽霊ビジネスはどんどん大きくなっていく。

ビジネスの拡大に比例して、深川の連れている幽霊の要求もどんどんエスカレートしていき、やがて「結婚して市長になりたい」と言い始める。

頭を悩ませる一同の前に突然「深川の母」と名乗る女が現れて・・・

 

 

 

 

 

 

で、まあこの母と一緒にやって来たのが本物の深川啓介なんですけどね。(容赦ないネタバレ)

ずっと深川(仮)が見ていた「幽霊」というのは完全に彼の幻覚で、実際に死んだと思っていた友人は生きていた。

もう少し解説が必要なので、ちょっと細かく内容を書きます。

彼は、ここにやって来た経緯このように説明します。

 

戦時中、ジャングルのようなところに逃げ込んだ深川友人は中身の少なくなった水筒をめぐって疑心暗鬼になった。

決着をつけようと、コイントスをしたところ、友人が勝ち、深川はその友人がいなくなるのをじっと待っていた。

だがその友人は正気を失ってしまっていた。

仕方ないので水筒をもらって一人ジャングルを抜け出ししばらくすると、友人が幽霊になって現れた。

 

しかし、実際のところはこう。

 

深川と名乗っていた彼の本当の名前は吉田で、コイントスで勝ったのは吉田。正気を失ったのも吉田で、彼はパニックのあまり、自身と友人の立場の記憶を入れ替えてしまっていた。

本物の深川は気の狂った吉田を背負いジャングルから抜け出した。ジャングルを出た途端捕虜になり、お互い行方知れずに…。

 

深川はこうも話します。

 

「幽霊になった友人を家に連れて帰ろうと、実家に行ったものの、家族は受け入れてくれず、説得を試みたがとうとう監禁されてしまった。監禁先からやっとの思いで抜け出して来た。」

 

本物の深川はこう話します。

 

「幽霊になった友人の家(=吉田宅)はつまり自分の家だった。」

 

自分の家に帰ったのに自分自身を深川だと思い込んでしまっているせいで息子の帰還を喜んだ家族とは話しが噛み合わず(ここを詳しく説明しすぎると違和感がバレてしまうのでうまく濁したのはめちゃくちゃ上手いな…と個人的に思いました)、やがて精神を病んでいると判断された家族によって精神病棟に入れられてしまった。

…というのが私の想像です。

今と違って昔の医療では精神疾患への理解が桁違いに低かったと思うので、彼の言っている通り、「監禁された」という状態だったのでしょう。

 

 

・深川の服装について

→周りの人間は裕福になっていくにつれてどんどん煌びやかになっていくのに対して、深川だけはずっと軍服のまま。

これはずっと過去に囚われ続けていることの象徴だと思いました。ひとりだけ時が止まっている。「幽霊は死んだ時の服装で彷徨い続ける」→深川の身なりそのものでちょっとゾッとしました。でもたしかに「吉田の中にいる深川」は軍服のまま彷徨っているはずなので、正しい状態ではあるんですよね。そういう部分の辻褄が合ってしまっているところが余計に、幽霊の信ぴょう性を高めている気がします。

余談ですが、深川の軍服、名札の名前の部分だけが黒く汚れて読めなくなってるんですよね…。

「コイツ、深川って名乗ってるのに名札には吉田って書いてるぞ…。」と誰一人ならなかったのはそういうことだったんですね…。見つけた時「伏線だ…」となりました。

 

・幽霊に振り回される深川

→「幽霊は壁を通り抜けるどころか、壁にぶつかることだってできない。」そう言ったのは他でもない深川自身なのに、彼は“友達”に手を引かれたり殴られたりしている。不思議です。

深川がいかに幽霊で周りを振り回し、同時に自身も幽霊に振り回されていたかが分かるポイント。

 

・幽霊ビジネス、結局利益はどう出たのか

→ここが1回目で全然腑に落ちなくて、2回目でようやく少し理解できた部分。

写真を買い取ることがメインの事業でどうしてここまで利益が出るのでしょうか?

写真の買い戻し?一部はそうでしょうがメインは違います。

最初の「何に使うか分からずにやって来た老婆」はそのケースでした。

「幽霊を呼び戻すようなことに使うのであれば、返してほしい」→250円で売った写真を1000円で買い戻しました。大庭たちは750円の利益。

ただ、話が広がって用途がわかっているのに買い戻し前提で売りに来る人はいないでしょう。

おそらく、この幽霊ビジネスの利益元は2つ。

・写真の買い集め事業によって立った「噂」で得る副業収入。

「幽霊に治療してほしい」「幽霊を探偵として使いたい」「講演会に出てほしい」

そんな話が次々やって来ました。深川が“通訳”をするだけでお金が入ってくる簡単なお仕事です。

 

そして、これは私の推測ですが、もう一つは

・写真の買取における“手数料”

幽霊ビジネスが話題を呼び、買い取りの依頼はどんどん増えていきます。

次第に大庭のもとでは対応出来ない量に……

そこで登場するのが周旋屋(斡旋業)です。

彼らに依頼することで彼らの取り分が必要になります。

この手数料が高額だったのでは…と思います。

 

日本宗教連盟の男がやって来た時、大庭は「売る方なら周旋屋さんに任せてあるからここでは引き受けられない」と言っていました。

こうして代行費と銘打った手数料をふんだくっていたのでは…。と思います。

並のビジネスマンならまだしも、「火事場の灰でも金にする」大庭ならやりかねない…。

後半に出て来た女性が「修正を待つ枠」を12,3万で買い取ろうとしていたことを考えると、この修正作業も相当な人気だったことが伺えます。

「修正を待つ枠」ってなんやねん。ジャニショの入場整理券か。

 

・新聞記者たちとの関係

→一つ勘違いしていたのは新聞記者たちとの関係性。

初見では、彼らと大庭は敵同士と思っていました。彼らは大庭の悪事を暴こうと、何年も彼の消息を追っていた。だから大庭が彼らの前に現れたとき、大慌てで彼の身辺調査を行った。

…でも実際は「悪事を共に働いた共犯者」ではないかと思います。彼らも大庭のビジネスが詐欺であることを知っていて、でもお金になるからと片棒を担いでいた。

しかしその悪事がバレて大庭は罪に問われ、彼らも大慌てで共犯関係を切ったのでしょう。

大庭が戻ってきたことで、そのことが公にならないかヒヤヒヤしている…それで見張りをつけてみたものの、どうやら新しいビジネスが始まっていて、それに乗っかる形で大儲け。結局何度痛い目を見ても彼らのあくどさは変わることがないのでしょう…。

 

・大庭は幽霊の存在に気づいてた?

→電話をかけるシーン。綿密に打ち合わせをしていたのは、彼が「心の底では幽霊を信じていなかった」ことを象徴しているのだと思います。

本当に幽霊の存在を信じていたら、「その場にいる幽霊が深川に伝言すること」に頼りきっていたはずです。

結局彼にとっては幽霊はいてもいなくても変わらないのだと思います。

「幽霊が見えるという深川」がいれば、それでお金になれば、それでいい。

ある意味一番潔くてはっきりしたキャラクターだなと思ってしまいます。

 

・深川に悪意はあるのか?

→一番のポイントは深川に悪意があるか?ということ。

人を騙そうという悪意のもと彼が動いていたら、きっともっと早くボロが出て“悪者”にされていたでしょう。

幽霊は、言ってしまえば彼の妄想ですが、そのことに1番苦しんでいたのは彼自身。彼は加害者であると同時に被害者でもあるわけで。

全てが終わった今、事実だけを客観的に見ても彼を責める気には私はなれません。

 

 

・これは、戦争の話なのか

全体の総括に入っていきますが、この舞台の初演が1957年、終戦から12年ということに衝撃を受けました。

戦争で人々の心の傷もまだ深いうちにこんな戦争のトラウマをキーにした演劇をやってしまうのかと。

主人公の深川は、心優しい青年で、その心の優しさゆえに戦争で大きなトラウマを抱えて帰って来ました。

彼の頭の中ではずっと空襲の音が鳴り続け、目を閉じれば、爆弾で焼かれた荒地が広がっている。

 

そんな彼も幽霊の幻覚から解き放たれ、「一人きりになること」に成功しました。

本物の深川に連れられ、大好きなお母さんと相合傘をして帰路につく。

めでたしめでたし。ハッピーエンド。

 

 

 

本当にそうでしょうか?

 

 

 

彼が今後もあの悪夢のような幻聴と幻覚を一生思い出すことなく生きる

…というのは残念ながら不可能でしょう。

精神疾患には「全快」という言葉は存在しません。

寛解。症状がコントロール出来ている、という状態が限界です。

きっとこの後何十年も同じような状態に苦しむことになるし、もしかしたらまた“友人”が現れるかもしれません。自分が深川であると信じて疑わない状態に戻るかもしれません。最後に見せたあの苦しみの表情は、そんなことを予感させるのに十分すぎる余白がありました。

 

こんなふうにトラウマを多くの人に植え付けて、終戦後何十年も人々を苦しめる戦争はよくないね!やめようね!

もちろんそのメッセージはあるでしょう。

 

 

 

 

でも、本当にそれだけでしょうか?

 

 

 

 

これは「戦争」という特別な体験をした人たちのフィクションか、もしかしたらノンフィクション…でしょうか?

戦争がなくたって、同じように大きなストレスを抱えている人はたくさんいます。世界中に、日本中に、劇場のある渋谷中に、そして、もしかしたらあなたの隣にも。

 

この話自体はとても特別に見えるけれど、深川のような人は、きっと現代にもたくさんいると思うのです。そして彼らは「戦争」というわかりやすく大きなストレスでないからこそ、周りから見えづらい苦しみを抱えているんじゃないかと、そういう意味では深川よりも辛い立場にいるのではないかと、そんなことを想像しました。

 

この舞台をこの令和で再演する意味。

戦争は絶対に繰り返しちゃいけない、それはもちろんだけど、同じように幽霊が見えてしまっている人に寄り添える優しさを

そんなメッセージも込められているという私の推測でこの所感を締めたいと思います。

深川が本当に行きたかった世界をせめて私たちは私たちの世界で作れるように。

 

 

*1:通常運転

*2:内容的にネタバレ厳禁な舞台だったので、公開は大千穐楽が終わった1月の予定ですが、個人的千秋楽が先日終わったので、12月に書いています。