私は自担からファンサを貰った。
それは私のNEWS担人生15年の中で初めての出来事で、正直なことを言ってしまうと、あんまり実感が沸いていない。
沸いていないというよりも私に向けられたものであるという自信が持てないでいる。
私は元々加藤シゲアキさんのオタクではなかった。
過去記事を参照していただければ分かることだが、私は手越祐也さんのオタクを13年間続けていた。
もちろんNEWSはグループとして大好きだったし、自担以外のメンバーもそこそこちゃんと見てきたという自負はある。
そこそこちゃんと見てきたからこそ、ライブ中にファンサする加藤さんも見てきたつもりではいた。
だけど、それは私の一方的な片想いで、その視線が私に向けられることは一生ないと思っていた。それでいいというか、それが普通のことなんだと思っていたし、ファンサを貰える人達は私とはどこか何かが違う、特別な選ばれた人なんだという感覚が強かった。隠しきれないオーラが出ている人、顔が可愛い女の子、スタイル抜群の美人、存在感のあるメンズ、幸せそうな親子連れ…
私はそのどれでもない。
それを悲観的に捉えることもなかったし、ファンサを貰えないことは、見て貰えないことは私の中では悲しいことではなかった。
主人公になれないだけ。シンデレラではないだけで、舞踏会に参加するセレブの1人ではあるわけだし、それだけで充分贅沢なことだった。
手越くんはそんな私…私たちにも、自分のファンじゃない人たちにも「みんな可愛くて大好き」と嘘のない目と屈託のない笑顔で言っていた。私にとってはそれが救いだったし、それが私の中のファンサだった。彼がそう言ってくれるから、私はライブの日を自分史上最高に可愛い顔と格好で迎えたし、そんな努力が出来る自分が好きだった。
特別になれなくても、私が私自身を特別だと思えればそれでいい。それが私のファンサだった。
そんな彼が消え、ただ、私のNEWSへの想いだけ残った2020年。
自担を新しく決めることも、決めずに「好きなアーティスト:全員」で居続けることもどんな選択も彼ら3人を傷つけてしまう気がして動けなくなってしまった。このまま静かに去ることが、NEWSにとって、ファンにとって、一番害のない選択なのかもしれないとすら思っていた。
そんな想いを抱えながら3人のファンと同じチケットを手にすることがどうしても許せなくて、STORYは行かないという選択肢を取った。
終わってからとてつもない後悔に襲われたけれど、今思えば、正解だったのかなとは思う。
同担…はもう周りにいなかったし、3人のファンと行っていたらものすごく気を使わせてしまったと思う。
行けなかったSTORYが終わっても、まだNEWSを見ていたいという気持ちは消すことがどうしても出来なくて、好きなアーティスト欄を「加藤シゲアキ」に変えた。
経緯は色々あるけれど、きっと会場で一番目で追ってしまうのは彼だろうという直感があった。
ただ、ライブの日を迎えるまで本当に怖かったのも紛れもない事実だった。「いなくなったヤツの代わりに」なんて思われてないか、そんな自意識がずっと頭の中で働いていて、「シゲ担を背負えない」とことあるごとにシゲ担の友人に言っていた。(その度に「背負う背負わないの概念がある時点で誰よりもシゲ担だよ」と笑われていたけど。)
そんな状態で迎えたライブ当日。
(ちょっとだけ構成(演出?)バレを含むので完全ネタバレ禁止勢は一旦離れていただいて。曲は伏せます。)
ある曲でトロッコに乗り込んだメンバーのすぐ近くに私達の席があった。一番近くを通るのはなんとまさかの加藤さんで、状態が飲み込めないままトロッコが動き出した。私たちの列を横切り後ろに向かっていくトロッコの上で、彼はゆっくりと振り返った。
本当にゆっくりだったのかは分からない。これが“ファンサを貰う直前に景色がゆっくり動いて見える”というアレだったのかもしれない。
公式のうちわを持って手を振っていた(らしい)私の友人と、パニックで硬直している私に向かって、加藤さんは柔らかく笑って手を振ってくれた。「見つけた!」とか「君たちだよ!」とかそういうアクションはなかったけれど*1、確かにバッチリと目が合って、優しく柔らかく笑ってくれた。
初めての出来事で、イマイチ実感が持てないし、私に向けられたものであるという自信は持てないけれど、それでもあの時加藤さんは私たちを見てくれた。私たちを見て、幸せで堪らないという顔をして笑ってくれた。幸せで堪らないのはこっちの方なのに。
初めての出来事で、私にはそれがファンサだったのかすら認識出来なかったけど、隣にいた熟練のシゲ担が私よりも数段興奮した表情で「目合った!」と言ってくれたことで、ようやく実感が沸いた。何年も何十回も彼を見てきた彼女が言うのだから間違いない。
私は加藤シゲアキ担初日に、加藤さん本人に“ファンであること”を認めてもらった。そんな気持ちになって、心の奥でつかえてたものがじわっと溶けていく感覚になった。
と、ここまで書いて、ふと思い出した。
私は過去に加藤さんにファンサを貰ったことが1度だけある。
10年近く前のライブツアー。当時4人分のうちわを買っていた私は、近くに来たメンバーのうちわを掲げるというトンデモDDスタイルでその公演を楽しんでいた。
席はスタンドの前方。でも、スタンドトロッコが回ってくる構成ではなかったので間近でメンバーを見ることは出来なかった。その上リフターで上がってきた加藤さんはこちら側にファンサするどころか1番が終わるまでずっとお尻を向けていた。
ああ、終わったな……なんて思っていた矢先。
2番の「君が好きなんだ」の歌詞で振り返って、こちらをまっすぐに指さしてくれた。
確かにあの時私は加藤さんのうちわを持っていた“シゲ担”だったし、私を指さした加藤さんは言葉で言い表せないほど穏やかな顔をして笑っていた。
今の今まで記憶に埋もれてしまっていたけど、私の人生で私を見て笑いかけてくれた最初のアイドルは加藤シゲアキさんだった。
オーラなんてなくても、顔が可愛くなくても、スタイルが崩れまくってても、メンズじゃなくても、幸せそうな親子連れじゃなくたって。
“加藤シゲアキのファンである”ということだけで、彼にとっては特別でかけがえの無い人になれる。
あの時と何も変わってない。加藤さんはシゲ担にしか分からない方法で、シゲ担としか通じ会えないコミュニケーションで“ファンサ”をしている。
たった数秒目が合っただけで、人1人の人生に深く刻まれてその後何年も忘れられることはない。その人の希望になったり、心の支えになったりする。歌いながらのたった数秒で。
そんな瞬間を量産しているアイドルは、彼の言葉を借りれば本当に“狂っている”。
そんな“狂っている”彼にこれから“狂わされ”ていく私の人生が始まった。
*1:だからきっと「シゲはファンサをしない」という言われ方をするんだろうな…と冷静に分析してみる。