リュックの奥の単行本の重みで、彼の功績を身をもって感じる。加藤さんの10年は、重い。
昨日、7/11は加藤シゲアキさんの36回目の誕生日だった。
友人から誘われ、都内のホテルで誕生日会をやることになった。
せっかくなら、と装飾用に小説家加藤シゲアキさんのこれまでの著書をカバンに詰め込んで出勤して後悔した。
重い、とにかく重い。
それもそのはず、単行本8冊を軽々しく持てるはずがない。加藤さんが小説家として、作家として、いかに偉大なことをやってきたのか、改めて突きつけられた。
NEWSは今年20周年を迎える。
20年目のアイドルは推しというよりもベテランで近寄り難い、という印象が強く、自分がそのファンダムに入ることになるとは、ファンになった当初想像もしていなかった。
どんどんフレッシュな後輩が出てくる中で、加藤シゲアキさんはいまだにアイドルを続けている。
この事実の重要性をもっとちゃんと噛み締めたいと思う。
キラキラしたフレッシュな後輩がどんどん出てくる中で、同僚がどんどん新しい世界に飛び立っていく中で、「ジャニーズ事務所のアイドルグループの一員」として活動している加藤さんの「アイドルでいることの意味」のようなものはなんなんだろうと思う。
その“意味”がなくなってしまったら加藤さんはどこに自分の居場所を作るんだろうか。
ただ、そんなことをうじうじ考えるのがアホらしくなってくるほど、ライブ中の、特に自分のファンを見つけた時の彼の顔は、形容し難いほどに輝いていて、「この人のファンでいられてよかったな」としみじみ感じる。
もともと彼のファンでなかった私は、元担が辞めた時にこの場を離れることだってできた。特定の人のファンにならずにふわふわとファンを続けることだってできた。
でも、「誰かのオタクである自分」を尊重した。ずっと心の奥にいた加藤シゲアキという人を自担にした。
その結論に至るまでには本当に色んな葛藤や戸惑いが付きまとっていたし、今でもまだ自信はないけれど。それでも今、私は加藤シゲアキさんのファンとして生きている。
彼も私も「選択」を続けている。「そこに居続ける」という選択を。
人生は選択の連続、なんてよく言うけれど、「選択」と聞くとどうしても新たな選択肢がセンセーショナルに映る。元の環境に身を置き続けることが悪のような、保守的のような。
「そこに居続ける」ことだって羽ばたいていくことと同じくらいの覚悟がいるということを、私は3人から教わった。
加藤さんは、フレッシュでキラキラなアイドルではないかもしれない。
だけど、「アイドル(=偶像)」という本来の意味に最も適した人だと思う。
欲しい時に、欲しい角度で、欲しい柔らかさの言葉を紡いでくれる。
歌が上手いことも、キレのあるダンスが出来ることも、魅せ方が上手いことも、恋心を揺さぶることももちろん凄く魅力的な要素で、「推し」には必要なことだと思う。それでも。加藤さんのような寄り添い方で人の傍に立ってくれる人を私は他に知らない。
これこそ“偶像”じゃないかと、憧れ、恋焦がれる愛の対象じゃないかと思う。思って止まない。
そんな奇跡みたいな人が、今日もステージに立ち“続けて”くれる。大好きな文章を紡ぎ“続けて”くれる。欲しい言葉を伝え“続けて”くれる。ファンの声に耳を傾け“続けて”くれる。
歌もダンスも作詞作曲も写真も料理も釣りも執筆も、何から何まで出来てしまう彼に、しがないファンの1人でしかない私が出来ることは、その奇跡の一瞬一瞬を噛み締めて大切にすることくらいだ。
私には、それくらいしかできない。
そんな崇高なことくらいしか、できない。