愛以上、恋未満。

アイドルに胸張って生きてる人たちを胸張って応援するブログ

蜃気楼を聞いても泣かなかった日

大好きなバンドがいる。

歌が特別上手いわけではないし、演奏が飛び切り素敵というわけでもない。

ただ、心に訴えかけてくる歌を歌う。

自分を見つめなおすきっかけをくれる。

そしてその全てを優しく肯定してくれる。

それが彼ら、10-FEETだ。

彼らの曲で一番好きな曲がある。

「蜃気楼」という曲。

「君の膵臓を食べたい」の作者、住野よる先生も第二作で、蜃気楼の歌詞である「また同じ夢を見ていた」をタイトルとして起用している。

10-FEET 蜃気楼 歌詞 - 歌ネット

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聞いたことのない人はぜひ一度聞いてほしい。

シングルカットもタイアップもされていないこのアルバム曲が私は大好きで、ライブで聞くたびに泣いていた。

 きっと、「生き続けることで今まで新鮮に感じていたことが、感情がどんどん薄れていく。それが怖い」という思いが本当に強くて聞くたびにこの曲と気持ちが共鳴しあって自然に涙が流れていた。

それが昨日、ポルノ超特急のステージで歌った蜃気楼では、泣かなかった。

もちろん感動した。いい曲だと思った。

でも泣くほど共鳴しなかったのはきっと、その恐怖から今年少しだけ開放されたからだと思っている。

年を取ることも、新鮮味を感じなくなることも怖い。一生無邪気でいたい。と思っていたけれど、もしかしてそれは捉え方次第なんじゃないかって、今年一年を通して思えるようになった。

新しいことに挑戦する勇気を持ち続けて、わくわくし続けて、ずっと無邪気に笑っていられる大人を、私は知っている。

その大人に導かれるように、私もやってみたいことは続けてきたし、挑戦してきた。

今はすごく楽しい。

それが20代だからなのか、単純に人生を楽しめているのか分からなかったけど、最近やっとわかってきた気がする。

人生を楽しむ才能を磨き続ければ、「老い」なんてやって来なくて、繰り返しの日々も表情のない日もやってこないんじゃないかって、今は信じられるから。

 

でもきっと、またこの曲に涙する日が来るんだろう。

その時私は進歩しているのか、退散しているのか、分からない。分からないけどやってみようと思う。

 

 

彼らが主催している「京都大作戦」は今年、大雨で中止になった。

彼らのくやしさは計り知れない。

その後も日本各地で起き続ける災害に対して、彼らは各地のフェスで「負けるなよ」「頑張っていこうな」と声を掛け続けた。

ポルノ超特急も同じく京都で開催されているフェス。

主催者のロットンは彼らの大親友。

当然、京都大作戦のことや今年の各地の災害のことを口に出すと思っていた。

 

しかし、彼らは語らなかった。

 

その代わり、「一番後ろ、会場の一番後ろの奴にもステージと同じ熱量を届けてやる!」「やれるか分からないけど、やってみる」そういった。

そうか、この人たちは音楽の力で何かが変わると本気で信じているんだ。と思った。

その時そのステージで全力で歌う。会場にいる人を一人残らず魅了することが、彼らのその時に出来るすべてだと感じていたのかもしれない。

年末のフェス。ほかにもステージはあるけれど、その日が最後という人もいるだろう。最後の最後まで、災害のことを思い出し続けるのはつらいことだ。それに被災こそしていないものの日々辛いことと戦っている人はたくさんいる。そんな人とも向き合って応援したい。そんな気持ちもこもっていたのかもしれない。

そこにどんな意思があったのかは定かではないが、もしそうだとたら彼らのやさしさは本当に奥深い。

 

ずいぶんと話が逸れてしまったが、この1年で色んなことがあった。色んな経験をして色んな感情を抱いた。年末にその全てを振り返る機会として、10-FEETの蜃気楼は最適だったように思う。