2015年の途中からNEWSの活動を積極的に追ってこなかった、いわゆる「茶の間ファン」化した私はこの連載の存在を最近になるまで知らなかった。私の茶の間には文芸誌すらなかった。つまり書籍化した本書のすべてが初見。全くまっさらな状態で読むことになった。
NEWSのライブが延期になり、世の中も自粛モード。本人も言っていたように「こんなときだから」家に引きこもってやることが出来て嬉しかった。
これは神様からの「ゆっくり読書に勤しみなさい」というメッセージだ!と勝手に都合のいい解釈をした私は、私生活のもろもろが少しだけ落ち着いた3/13にこの本を手に取った。
1日で読み終わった。
うそでしょ…聞いてない…出来るだけゆっくり読んだのに…。約3年間の連載の総集編+書き下ろしと小説もあるんだよ??なんで…
なんでこんなに読みやすいんだ…。(絶望の顔)
文章自体は幼稚なわけではないし、むしろちょっと小難しい言い回しもあるくらいなのに、こんな陳腐なブログみたいに過大表現があるわけでもないのにどうしてこんなにスッと、溶け込むように読めてしまうんだろう…。
これも彼の「頭のよさ」なんだろうか…だとしたらいよいよ叶わない。勝とうとなんてしてないけど叶わない。
「本当に頭がいい人は説明がとっても丁寧」って聞いたことあるけどこれじゃん…。
そんな「サラッと」読めてしまった本書ではあるものの、何編か印象に残ったものがあるので覚え書き程度に書いていこうと思う。(全編書いているとキリがないので…)
まさかこの歳になって自発的に読書感想文を書くことになるとは…。笑
(以下、ネタバレのため各自回避お願いします。)
Trip4 岡山
岡山にお住まいの父方のおじい様との思い出話。
「ザ・昭和初期の頑固親父」が想像出来たけど彼のおじい様像と合っているのかは分からない。認知症になるといろんなことを忘れるというけれど、「そこは覚えてるんだ??」ってところが垣間見えるのが面白い。(面白いって言い方は不謹慎かもしれないけど)
加藤さんのお父様に「息子が2人おるじゃろ。書く方と歌って踊る方」というエピソードは私もお気に入りになった。たまに私でも「本当は2人いるのでは??」って思ってしまう。っていうか、2人でおさまるのか??
その後に出てきた再会のシーンで「孫自体を認識出来なくなっていた」という対比が残酷で美しかった。こういう表現が本当にうまい人だと思う。小説ならいいのに…とより一層悲しくなってしまったので小説家のエッセイは罪だ。
前職で高齢者を対象にお仕事をしてきたので、認知症になるとその人にとって大事な部分ほど最後に残るというのを強く感じる。人間性というか、その人の芯、みたいなものが分かる。
クラブのママだったおばあちゃんには2人きりの時に恋愛相談をしたし、闇社会のお金持ちだったおじいちゃんは症状が進行すればするほど、私のことをキャバクラのお姉ちゃん扱いしてきた。この前まで頑固で言うことを聞かなかったおじいさんに急に感謝の言葉を伝えられたりもした。
加藤さんのおじい様は最後に残ったのが「おばあさんとの記憶」だったのだろう。
私はそんな風に、認知症で右も左も分からなくなった時に、それでも認識できる人がいるんだろうか。そんな人生にしていけるんだろうか。そんなことをここ最近ずっと考えてしまっている。
Trip6 ニューヨーク
ニューヨークには私も足を踏み入れたことがある。「ここには一つのイメージだけでは括れない何かが満ちている。」全く同感だ。あの町に行くと、何も感じずにはいられない。何と言われると困ってしまうけど、「何か」が確かに存在している。
でも、そんな華やかな街で、華やかなグラミー賞授賞式の中で、ジェンダーについて深く考えて帰ってくるあたりがなんとも加藤さんらしい。
男女が平等であってほしい。というのは確かにその通りだけど、そもそもの人間の構造が違うのだから、どう頑張っても完全な平等は実現しないと思ってもいる。だからジェンダーについて意見を持つこと自体とっても難しい。この問題には明確な答えがない。
それでも、このテーマについて書いてくれたことには大きな意味がある。
このエッセイを通じて、読者が考えること自体が大きな一歩だと思うから。
Trip7 時空
加藤成亮時代を知っている身としては、この章はなかなかしんどいものがあった。
スカしてて、自分を良く見せようと必死で、それでも圧倒的に輝いている人がすぐ近くにいるから恰好つけきれなくて、自分の立ち位置を見失っている。
それが私の「加藤成亮」に対する印象だった。嫌悪感なんてものは感じなかったものの、「この人のファンになることはないだろう」と思っていた記憶がある。(ファンの人には本当に失礼だけど、ごめん。)
彼自身もそんな自分と一生懸命戦っていたのだと思う。
だから「加藤シゲアキ」として「加藤成亮」と向き合っているこの章は見たいような見たくないような、そんな気持ちになる。
私は「加藤成亮」よりも「加藤シゲアキ」が圧倒的に好きだし、それが自分自身なら、振り返ることすら出来ないと思う。
それを「U R not alone」で繋げてしまうところが本当にすごい。強くないとできないし、今の自分を肯定しないと出来ないことだと思う。
だからきっと彼は今の自分に「満足」することはなくても「肯定」することは出来ているんだろうなあ。と思う。
本番当日に「成亮」に語り掛ける「シゲアキ」の描写が本書で一番好きかもしれない。
私もいつか未来の私に言ってあげたいな。「私ならできるよね」「愚問だよ」って。
Trip9 スリランカ
一番好きな章は?と聞かれたら静かにこのページを開いて渡すと思う。
一番旅らしい旅だなあ。と感じる。「呼ばれている」と感じて出る旅なんて、あまりにも最高すぎる。
この章の柱は2つ。
「好きになりすぎないこと」
「憎しみの連鎖を断ち切ること」
仏教圏に行ったからなのか、この章は特に哲学的な派生をしているように感じる。
その加藤さんの哲学はこんな風に展開する。
自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ
スリランカでの景色や経験で色んなことを感じて考えた加藤さんが、こんな素敵な文章を書けるような感受性と表現力豊かな加藤さんが、あからさまな悪意に対して鈍感でいられるわけがない。きっとしっかり深く傷ついている。
でも加藤さんはそれを表に出さない。反撃しようとしない。まさに「抱きしめて」いる。悪意ごと。
懐が深いとかそういう話じゃない。そんなレベルのものじゃない。
---あの国を、僕が好きになりすぎないことなどできるのだろうか。
小説みたいな綺麗な終わり方。この一文が本書で1番好きかもしれない。スリランカと縁もゆかりも無い私がなんだかドキッと、いい意味で心の奥を刺されたような気分になった。
読了後、余韻に浸る時間も兼ねてスリランカへの旅を計画した。(行動だけは早い)
好きになりすぎない旅、私もしてみたい。
Trip13 浄土
初っ端からボロボロ泣きながら読んだ。泣かせに来てるような文章なんてまるでないのに、ジャニーさんについて語られた文章を見ると泣いてしまう一種の条件反射みたいなもの。
入所の理由を「顔」と言われたことがショックだった話、最初に聞いた時は衝撃だった。
私だったら「顔可愛いからアイドルにならない?」なんて言われたらひっくり返って喜んでしまう。言われたことないからなのかもしれないけど。
「顔は両親からの授かりもの。自分の実力じゃない」なんて、私は言えないと思う。運が才能のうちなら顔だって立派な才能だ。
謙遜でも卑屈になってるわけでもなく、これが彼の価値観なんだと驚いた。
その顔に対する劣等感がのちのち小説家への道を切り拓くきっかけになったのかもしれないと思うと、本当に色んな意味でジャニーさんに頭が上がらない。加藤成亮が思い悩んだ時に「ジャニーさんに歌がいいって言われたんだ。」「君には演技があるって言われた…!」なんて思い返したらきっとそこに心血を注いでいたかもしれない。(加藤さんの何が凄いってその後歌の道も演技の道も立派に切り拓いてること。「俺には小説があるからあとはいいや!」ってならないのが凄い。)
ジャニーさんって本当に色んな顔を持ってるなぁと思う。ご存命なら「どうしてあの時可愛いって言ったの?」「なんで立派な小説家になったのに最悪なんて言ったの?」って聞きたかったな…本当の想いの部分はもう絶対に知りようがない。
そういう想いをタレント一人ひとりが1つは抱えているんじゃないか、なんて想像もしてしまった。
NEWSのファンであることを初めて悔やんだ
読み終わって、というか読みながら一番強く感じたのは
「加藤シゲアキ」を全く知らない状態で読みたかった。
せめて「小説しか読んだことがない」状態でいたかった。
一読者でいるにはあまりにも、私は彼のことを知り過ぎている。
例え活動をリアルタイムで追っていなくても後追いで
「番組の企画で芸者さんの恰好をしたこと」も
「大野君と25時間釣りに出ていたこと」も
「キックボクシングを習っていること」も*1
「色んな、本当に色んな困難を乗り越えながら24時間テレビのドラマを完走した」ことも
「グリーンマイルの主演を務めていたこと」も
「NEWSでグラミー賞を見に行ったこと」も
「27時間テレビで落語に挑戦したこと」も
「NEWSな2人という社会派の番組をやっていること」も
「NEWSの曲に『U R not alone』という曲があること」も
全部知ってしまっている。もちろん100%の事実を知っているとは到底思わないけど、それでもその存在を知ってしまっている。
今までは彼の小説という「完全な新作」だったのでなんのフィルターも掛かっていない状態で楽しめた。
でも今回は違う。100%彼の内面。「加藤シゲアキ」そのものだ。
「シゲならこう思いそう」とか「確かにこんなことしそう」とか、なんとなくの予想がついてしまう。もちろん新しい一面を見つけてまた好きになることも沢山あるけれど。
それがどうしようもなく、悲しいと思った。
私の本書に対する感想も「NEWSのファンだから」かもしれない。本当の意味でニュートラルに加藤シゲアキの文章を評することが、もう私には、どう頑張ってもできない。
過去に戻って「NEWSのファンにならない」という選択をしない限り、100%新鮮な気持ちで彼の文章を愛することができない。
でも、今まで「もっと早くファンになりたかった」と思うことはあっても「ファンにならなきゃよかった」なんて思ったことがなかったので、こんな形で後悔していることをちょっと面白く思っている自分もいる。
「アイドルが書いた作品」を一番意識しているのはもしかしたらファンなのかもしれない。*2
と、同時に全く彼のアイドルとしての一面を知らない人、
つまり「コンサートで愛してるって言いながら世界一幸せそうに笑う」とか「実はめちゃめちゃファルセットがきれい」とか「毎年メンバーの誕生日ケーキを手づかみする」とか「関係ない話してるのに急に小山さんの話になる」とか「コンサートでソロ曲を死ぬほど弄られてる」とか
そういうことを全く知らない人に読んでほしいなと心から思った。今まで以上に強く強く思った。
そういう意味では今まで以上にファンじゃない人に勧められる。
読んでほしい。単純に読んでほしい。印税とか、彼の自慢とか、そういうことじゃなくて。
アイドルとしてこんな心持ちで生きている人がいるということを単純に知ってほしいと思った。
もしファンとして私が今作に貢献できることがあるとすれば、きっとそれなんじゃないかと思う。
「たかがアイドル」の素顔はこんなにも興味深く、思慮深く、コミカルで、葛藤だらけで、そして、愛おしい。