前置き:
これは、沼落ちブログというよりも、ラブレターというよりも、長い長い私の私情を綴ったものなので、きっと読んだところで何も得られないと思う。だけど、私のようなオタクが生まれたことを、ネットという不特定多数の世界に投げたくなったので。
いつか未来の私が読んで、「あぁこんな“原点”だったな」と笑えればそれで十分かなぁと、そんなことを思いながらつらつら書いていきます。
初めて君を見たあの時を今でも覚えてる
貴方は、どこか所在なさげで、不安でいっぱいなのだと、中学生の私でも分かった。
その場所は間違いなく貴方の居場所なのに。
私はその日、貴方の隣にいた金色の髪の青年に恋をした。そこから、私のオタク人生は幕を開けた。
5万人の観客の前に立つことは、それだけで充分過ぎるほど偉大で誇るべきことなのに、そこにいる誰もが自分なんて見ていないかのように孤独に振る舞う貴方を見て、好意でも嫌悪感でもなく、親近感が沸いた。
なんだかこの人は私に似ている。そう思った。
クラスの中で目立つわけでもなく、かと言って孤独と戦っているわけでもなく、
なんとなく色んなことが満遍なく出来て、それなりに周りと馴染める。そんな自分がつまらない人間のように思えて、ひどくコンプレックスだった当時の私と重ねてしまっていた。
実際はしがない学生と並べられるような器の人ではなかったはずなのに、彼はどこまでもいい意味で「普通」だった。彼のそんなところが好きだった。
数年後、彼は「先生」になった。文章を書くのが好きだということも、その文章が読みやすくて面白いことも、雑誌やWebの連載で実感していたので、素直に嬉しかった。
自担ではないけど、おめでとう。と、心から思った。ひとつ、自分の居場所が見つけられたんだね…と勝手に少し安心した。
どこまでも、彼は私の中で「気の置けない親友」だった。
そんな彼を自担として推すことになるなんて、想像すらしていなかった。
NEWSは4人になり、爆進劇を繰り広げていた。
少なくとも私の中では、2人の脱退によってより団結した4人がとても綺麗なバランスを保ちながら進んでいるように見えて、とても心地よかった。
彼も心無しか、6人でいた時よりものびのびと、自分らしく振舞っているように見えた。
カタカナに改名してからの彼は、とても充実していて、楽しそうで、同時にひとつ大きなものを背負っているように見えて、なんだかそのことにまた少し安心した。
私がロックの沼にはまって離れている間も、「NEWS」としての活動は追えずとも、テゴマスと加藤先生の小説だけは動きがあったら必ずチェックするようにしていた。……まぁ残念ながらどっちも動きがないまま出戻りを迎えたんだけど笑
手越担だったのに、戻ってきた最初のきっかけは「チュベローズで待ってる」を読破したことだし、奇跡的にこの目で見られた3年ぶりの公演も、変化に1番驚かされたのは彼の歌声の進化だった。
思えば、そうやって彼のことをずっと目で追っていたのかもしれない。……なんて言ったら、都合のいい解釈だって笑われるかな。
でも、私は元担の彼以前に4人のことが大好きで、4人のことを出来るだけ沢山見ていたかったから。私がこれから誰のオタクになっても、きっと同じくらい沢山の思い出が語れる。
彼と、元担は「月と太陽」なんて比喩されていた。同い年、同じ中学を受験、同じグループの中で生きてきて、ここまでコントラストがあるのが本当に面白くて、私は2人のエピソードが大好きだった。
これからずっとそうやって笑っていて欲しかった。
4人で。ずっと4人で。
でも、時は来てしまった。
「ずっと」なんてない事を、私は10年前の10月に痛いほど思い知らされたはずなのに、人間の慣れは本当に恐ろしい。いや、「彼らなら大丈夫」とタカをくくってしまっていたのかもしれない。
しかも、今度は「応援していたアイドルが突然いなくなる」という新しいパターンだった。
(ここから先は、私の元担に対する率直な気持ちを綴る部分があるので、彼のことを全肯定したい人や、この記事が彼に対する応援の記事だと思っているひとがいたら、今すぐ戻るボタンを押して欲しい。お互い、生きやすい場所で生きたいように生きましょう。)
……そろそろ大丈夫かな…。
話を戻そう。
正直なところ、私は彼の辞め方も、やめた後の活動も、彼が脱退後にNEWSに投げた気持ちも全て気に入らない…いや、最低だと思ってる。絶対に許せない。大好きだったからこそ、こんな形で、こんな後味の悪さで旅立っていった彼を心底憎んでいる。ネットにあまり書くべきことではないと分かっているし、こういう風にマイナスなことを書くことは今まで私が意識的に避けてきたことではあるけど今回だけは書いておきたい。
私の大好きな、生きがいと同義なNEWSという場所をめちゃくちゃにした彼を、どうしたって許せないし、応援なんて嘘でも出来ない。
そしてそんなことを3人が言えない立場にあることも含めて、悲しくて絶望していた。
そんな時に「月」だったはずの彼が「太陽」に見えた。
彼はどんな時でも絶対に意地でも名前を出さなかった。絶対に。
人数が減った、とか歌割りが増えた、とかそういった表現はするものの、脱退したメンバーの名前は絶対に出さなかった。
「許せない」とか「怒っている」とかそういった事が言えない立場にいる中で「怒り」を見せてくれた…ように解釈した。
これは私の憶測だから、彼の本当の気持ちも胸の内も、少なくとも今すぐは把握できない。
だけど、私が「そう感じた」ことは私の中での事実だし、結果的に私はそうして「救われた」のも事実だった。
怒ってもいいんだよ。
そう言ってくれているような気がして、遠慮なくめいっぱい怒った。そうして、少しだけ気持ちが落ち着いた。
ずっと好きだった人に怒りを感じる。憤りを覚える。それを許してくれることが、その時の私にとっては何よりもの「救い」だった。
許せなかった分、そんな彼を応援していた自分を許せなくなって、私はSTORYの参戦を諦めた。
散々迷惑をかけて退所した人のファンが意気揚々と行っていい場所じゃない。これは3人が必死に守り続けてきた4部作の集大成。
そう言い聞かせて諦めた。
行けば良かったのに。
と、今なら思える。そんな面倒な葛藤はやめて、さっさと気持ちを切り替えて行けばよかったのに。
ファンに罪はないんだよ。
タイムマシンがあったらきっとそう伝えて代わりに応募してあげていたかもしれない。
誰かに手を引いてもらわないと立ち上がれなくて、でも周りに、そんな余裕のある人はもちろんいなくて、わがままで子供な私は、そのことにまた拗ねて塞ぎ込んでしまっていた。
見るのを迷っている、という発言をする度に「元担がいないことの寂しさ」とか「元担を探してしまう切なさ」とか、そういう心配の上で大丈夫だから、と声をかけてくれる人はいた。
そうじゃなかった。私が好きだった人が散々迷惑をかけてぶち壊そうとした大切な場所をどんな顔して見たらいいのか分からなかった。
罪悪感と対峙するのが1番怖かった。
だから1人では絶対に見られなかったと思う。
そうして近づいた配信の日。こんなメンタルでは到底見られない、と散々嘆いていたら、見かねた友人が一緒に鑑賞してくれた。
私に差したたった一筋の光だった。
私はその日、加藤シゲアキに恋をした。
友人と見た画面の奥には、想像以上の煌めきが詰まっていて、1人の不在なんて感じさせないほどのパワーが溢れていた。
「守った」んだな、と思った。
もう、ぼんやりとしか覚えていないけれど、
泳ぐように上下していく歌声、
指先どころか髪の先まで神経が通ったかのように繊細に動いていくダンス、
うっすら生えたヒゲには似つかわしくない無邪気な笑顔、
かと思えば、視線1つで100を語れるほどの表現力、
客席に向けた笑顔…というより安心したような穏やかな顔は、きっと配信という選択肢を取っていたら絶対に見られなかったもので、あんなにタイミングを憎んだコロナ罹患に少しだけ感謝した。
ずっと目で追っていた人がいなくなると、こんなにも彼のことが気になって仕方ないのかと、少し驚いた。ずっと見てきたはずなのに、私は何も観ていなかったんだと痛感した。
と、同時に、ここまで目が離せない人がいるのに罪悪感を理由にオタクを退くのは自分に失礼だと思ってしまった。
好きならそれでいいじゃない。たかがファンの私が背負う贖罪なんて何もない。
そう思えるまでにここまで時間がかかってしまったけど
いなくなった人の代わりを探すみたいで、降り先の本人に申し訳ないとか
オルタネートの快進撃、立て続けにやってくるドラマ出演、何から何まで波に乗っていて、こんな時期にファンになるのは流行りに乗っているミーハーみたいで恥ずかしいとか
そういう葛藤を少しずつ少しずつ潰して、消化して、噛み砕いて、ようやく「加藤シゲアキ担」を名乗れるようになった。
なんだか自意識と戦いながらこの紆余曲折を経ている感じが既に「シゲ担」っぽいなぁ…と自分で自分に苦笑いしている。
あの日、ステージの1番端っこで、力なく笑っていた彼が、こんなにも堂々とステージの真ん中に立っていて、ここに至るまでのこれまでの歳月を想うと気が遠くなるけれど。
私がずっと腐れ縁の同級生だと思っていた加藤成亮はそこにはもういなくて、立派にグループを引っ張る大黒柱の加藤シゲアキが何よりも頼もしくて、この人を大好きでいたいと心底思った。
生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。私の見えるところで咲き続けてくれてありがとう。
私、ちゃんと貴方のファンになれたよ。