手越担、に疲れている。
何かあったわけではない。
オタク関係は良好。いざこざもないし、自担は週刊誌の記者に追い掛け回されることなく、今日も元気におうち時間を楽しんでいる(と思う。)
何もないわけでもない。
コンサートは相変わらずお預け状態、復帰の目処も立たないけれど、その分色んなメディアで最新の彼らが見られる。
イッテQにOPENREC、ラジオだって今のところはありがたいことに未だに毎週最新の収録だ。
でも、何かが、何かが上手くいっていない。
比較的メンタルは安定しているはずの私に何かが起きている。
手越くんのことを上手くインターネットに書けなくなっている。
NEWSのことも他のメンバーのことも、リアルタイムでTwitterに実況出来ているのに手越くんのことだけは上手く書けなくなっている。
どんな言葉を紡いでも「これじゃない」と感じてしまってツイートまでいけない。
そうして溜まってしまった下書きは、別件*1のためログアウトしたタイミングで全部消えてしまった。
どんなツイートをしても、私の気持ちじゃない気がして、他の手越担さんの方が愛が深い気がしてしまって、どうしても引け目を感じずにはいられなかった。好きな気持ちを争う気は一切ないのだけれど、勝手に劣等感を感じてしまっている。
どうしてこんなことになったのか、きっかけすら分からない。きっと自宅生活がこんなにも長引いていることは全くの無関係ではないんだろうとは思っているけれど。
SNSというのはとても難しいツールだと思う。
手越くんへの、NEWSへの「好き」を語るために作ったTwitterアカウントはいつの間にか「好きを叫ばないといけない場所」になっていた。
なんというかそれは、私の勝手な自意識なのだけれど。
「好きを思う存分語れる場所」から「好きを発信できない自分を責める場所」に変わってしまっている気がする。私が勝手にプレッシャーを感じているだけなのだけれど。
こんな私にも、フォローしてくれている人がいる。
100人ちょっとの人が、私の発信を見ている。
そう思っただけで「何か有益なことをつぶやかなくては」と焦ってしまっているのかもしれない。
100人単位でこれなのだからフォロワー数がもっと多い人気ツイッタラーさんはもっと大変なのだろうなあとぼんやり思ったりもする。
実際のところ、本当はもっとなんのことない日常ツイートを垂れ流してもいいはずなのだ。辛い気持ちを吐露したり、愚痴ったり、なんでもない報告をしたりぼやいたりしてもいいはずなのだ。
なぜかそれが出来なくなっている。しないように心がけるようになっている。
本来インターネットは顔が見えないのをいいことに、赤の他人に見られているのをいいことに、家族や日常の友達には面と向かって言えないことを言う場所だった。気持ちの捌け口だった。気がする。私がインターネットに触れ始めた頃はそんな世界だった気がする。
いつの間にか、不特定多数の反応や関心が気になって、それがそのまま自分の価値になっているような気がしてどんどん自分の首を絞めるようになってしまった。
でも、現実問題、私は手越担で、NEWS全員が大好きで、彼らを心の支えにして、生きる糧にして、今日もここにいる。
フォロワーさんになんと思われようと、人が引いていこうと、私の気持ちは揺るがない。
上手く「言葉」という形に出来ないだけで、形のない想いとしてはずっと心の奥にある。
それでいいじゃないと、もう一人の自分に言われた気がした。
いつもキラキラしたみんなの憧れの手越担、でも、手越くんへの愛を発信し続けられる手越担の鑑、でも、ない。手越くんを好きな気持ちは数値化したら他の誰よりも劣ってしまうかもしれない。
それでも私は今日も手越くんが、NEWSが好きだ。
ただそれだけでいい。思いを形にすることは、出来るときにすればいい。
そう、開き直ることにした。
*1:学校の課題が終わらなくてツイ廃をやめようとした時期。結局もろもろの情報が追えなくなったので戻ってきました←