愛以上、恋未満。

アイドルに胸張って生きてる人たちを胸張って応援するブログ

本当の手越祐也はどこにいる?(DoLLs再考察)

下書きの下書きであるWord文書に書きなぐったまま放置していたDoLLs考察記事。

書き始めてから3か月が経とうとしてるしもう記憶もあの直後より曖昧だしいい加減破棄してしまおうと思っていたのですが、大好きなブロガーさんが「読みたい!」と言い続けてくれているので公開します。

こんな私の文章でも尊敬するブロガーさんに褒めてもらえるんだよ…嬉しいね…生きててよかった…書いててよかった…

ってことであんまり書かないタイプの重い記事ですが考察ブログ行ってみましょう(前置きが長い)

 

 

 

 

曲名が発表されたらどんな曲か予想して、音源が出て解釈に勤しみ、ライブの演出を経て更に熟考を重ねる。

これ、去年どっかで見たな。って既視感抱いてたけど分かったよ。例年のシゲソロだ。

ファンが集いに集って解釈大会しすぎて本家の意味を越えているような気がしたけどそういうところも含めていいな、と思った。解釈が作り手の意図を越えている方が芸術として確立している気がする。

まさか自担の曲でそんな状況になるとは思いもしなかったけど。笑

てごソロと言えば、「分かりやすい」が一貫したコンセプトといっても過言ではないと思っていたので。

だって、「抱かせて」か「別れたくない」しか言ってないんだもん。

今回のDoLLsは、音源だけならthunderに、演出を含めると氷温に近いものを感じた。

音源の解釈は以前書きましたのでこちらで。

(解釈というより歌詞の感想だけど。)

tgszr15.hatenablog.com

 

 Jr.の存在が象徴するもの

 

(ENCORE公演以外で)久々のJr.投入だった気がする。一人で弾き語りするか、ベッドの上でご乱心(言い方)ばっかりだったのですごく新鮮に感じた。

少しフリが入ってたからJr.引き連れた方が華が出るっていうだけかもしれないけど、どうしても私には彼らが何の意味も持たないバックダンサーとは思えなかった。

彼らは人形こと手越祐也の手の動きに合わせて登場し、彼に纏わりついたり、一緒に踊ったり、服を着せたりしていた。

彼らは何の象徴なのか。

「彼を人形として操る人間」なのか「彼自身」なのか「彼を守る守護霊」なのか、どう捉えるかによって演出すべての意味合いが変わってくる。

彼を操っている存在なのだとすれば、上着を着せたり纏わりついてくる割に絵の具を落とすのに手を貸しているのが分からないし、彼自身なんだとすれば、自身を痛めつけては慰めて、縛り付けては抗って、とかなり矛盾している。葛藤とかそういうレベルの物じゃない。自分で自分が何をしてるのか分からなくなってる、混乱状態のようなものを感じる。

彼を守る守護霊、の線はかなり薄そうだけど、服を着せたり鎖で縛りつけたり、彼の自由を奪っているようで実はそれが彼を守る手段になっているのだとしたら、それはそれで認めるべきなんだろうか。

 

敵なのか味方なのか分からないファンの立ち位置

 

私たちファンはこの曲の中でどこにいるのだろう、とずっと考えていた。Jr.の立ち位置なのか、それとも彼らの動きを見ている観客でしかないのか。

では、ファンは彼にとって「敵」なのか「味方」なのか。

もちろん味方でいたいというファンが大半だと思う。だってファンだもん。

でも時にファンという存在が足かせになってしまうこともある。

(トップガン狩りの直後にこんなこというのも申し訳ないけど書いた当時は発売前だったしまっすーが「NEWSを守ってくれるファンの愛」なんて素敵な言葉を残してくれる前の話なので大目に見て欲しい)

性善説で生きている彼にとって「ハニーちゃん」である私たちはまごう事なき味方なんだと思うけどDoLLsに眠っているもう一人の彼は悪意と戦っているはずの私たちのことを「敵」と見なしているのかもしれないな、なんて思ったりもした。

 

だって私たちが騒がなければ明るみに出なかったこと、沢山ある。彼が彼らしく生きていくことを邪魔してしまっているのかもしれないファンの事を真っ直ぐになんの疑いもなく「大好きだよ」と言ってくれる手越祐也に後ろめたさを感じることもあったから、こういう曲をこういう演出でやってくれて少しホッとしている。と、同時に絶対に彼の足かせにはなりたくないなとも思う。それがたとえ「よかれと思って」でも。*1

 

 

 

「色」が象徴する「動く人形・手越祐也」の実態

 

1番のサビが終わり2番が始まった瞬間、彼の右頬は黒い絵の具で汚れていた。その後、緑や青、様々な色で塗りたくられた顔。今回最大の演出ポイントだと勝手に思っている。

最初に感じたのは「顔に泥を塗る」という言葉。

残念ながら、私たちファンが全く身に覚えのない言葉ではない。前の章と内容が被るけど、彼のファンを名乗って悪口を放出し続けるいわゆる愚痴垢はもちろん、根も葉もない噂とむやみに戦い、結果的に噂を広めて彼を苦しませてしまっている(と、私は感じる)。「よかれと思って」なのだ。戦わずにはいられない性分なのは仕方ないにしても、戦い方はもう少し考えたほうがいいのかもしれない、とは思ってしまう。

 

でも、よくよく考えて気が付いた。彼は「自分から」色を塗っている。

Jr.に何かしらの役を負わせているのであれば彼らに塗らせればいい。でも彼は自らカラフルな顔になっている。

ここで、加藤先生の著書「傘を持たない蟻たちは」の『染色』という話を思い出した。

主人公の前に現れた天才肌の少女は、常に腕にカラースプレーをかけている。「色がないと不安」と、お風呂上りでもすぐにスプレーをする。読んだ当初は全く彼女の気持ちが理解できなかったけど、「何色かに染まっていたい」という感情が少しわかったような気がした。

自分で自分の色が分からなくなって、どの色でいたらいいのか分からない、何色でもない自分に焦りを感じる。だからこそ、何色でもいいから染まっている自分でいたい。

全くの一般人からある日突然アイドルになる人生。仕事場は常にキラキラ。黄色い声援に囲まれ続ける。

…そんな中で15年も生きていたら、「本当の自分」なんて分からなくなりそうで、私は怖い。まだ「ステージ上の自分」として別人格をつくって、その人に好き放題やらせる方が、私自身は守られる気がする。

「何色かに染まっていたい」はそういう感情なのかな、と思った。アイドルは特に「カラー」に重きを置いている人が多い印象。*2

ステージ上の自分に色を着せて歌って踊る。それが彼の考える「アイドル像」なのかな、なんて思ったりするのは、少し考えすぎかもしれないけど。

 

他の人の意見を踏まえてのちょっと追記。

最後のシーンでじっとりと塗る「赤い絵の具」が「血」をイメージしてるんじゃないかって意見を見かけてなるほど!って思ったのですが私はあの位置、あの色、ピエロみたいだなって思った。ピエロって人を楽しませる道化師である一方、泣いていても笑っているように見えるようにあのメイクになったって話を聞いたことがあって、彼は『あえて』ピエロのような顔で締めくくったのかな、と。それはそれで救われないな、と思いました。大好きな人が「俺はピエロになるぜ」って宣言したら私はとっても悲しい。常に楽しませなくていいんだよ。自分を大切にして。泣いていいんだよ。悲しい時は悲しいって言ってよ。って思ってしまう。

ただ、現実の手越くんは悲しい涙こそみせないものの、ファンの前で堂々と嬉し泣きしてくれるようになったし、小山くんっていうNEWSのリーダーの前では心が弱っている自分を見せられているようなのでほんの少しだけ安心してる。リーダーありがとうね。

 

 

「着せ替え」られているのは服だけなのか

「着せ替えお遊び人形」の部分でバックダンサーであるJr.に上着を着せられる。

演出で唯一予想できた部分。その通りになった部分。手越くんと心が通じたぜ。やったぜ。解釈の一致により入籍だぜ!!(あまりにも重い記事なのでちょっとふざけたくなった)

「俺は人形なんかじゃない」の話はこの後しますが、「人形」に付随する「着せ替え」という言葉。

洋服に1ミリの興味もない手越くんだからこそこの歌詞に深みが出ると思っていて、着ている服で印象が変わることを彼は分かっているような気がする。少なくとも「アイドル・手越祐也」は分かっていて、それを上手く利用している感じがする。演出上では上着を着せられていたけど、この歌詞を解釈するに、着せられているのは「服」だけではない気がする。

世間からの一方的なイメージとか、その場を盛り上げるために背負わなきゃいけない役割とか、いいことも悪いことも含めて「着せられている」って感じる。でもその多くは彼が進んで「着ている」って感じることも多くて、「そんなの着ないで!ありのままの素敵な手越くんでいてよ!」とも言えない自分がいる。だってそうやって仮面を被っているからこそ私たちは仮面の下の「本当は真面目で一生懸命で私生活は地味な真っ直ぐな好青年」という手越くんを見られているのであって、それって彼と向き合おうとしないと得られない最高の福利厚生だと思う。世間に誤解はされたくないけど簡単に本当の姿も知られたくないっていう私の中の面倒くさいオブ面倒くさい感情だけど、大切にしたい感情でもある。(ちなみにこの感情は「LoveStoryを地上波で見たい私」VS「世間の人に私たちの関係を知られたくない私」に応用されています。)

 

「着せる」に派生して全然関係ない脱線をするけど、増田くんの衣装はそう考えると天才だと思う。どんなプロ中のプロよりも、(本人含めて)彼らに「着せるべき」服の形を分かっている。多分私たちが感じるポイント以外にも一人一人に対する衣装の形のこだわりをしっかり持っているんだと思う。

そうやってメンバーが「着せられる」ものに対して誰よりも心血を注いでいるのが誰でもない「NEWSのメンバー」ってところがこのグループ最大の強みの一つだと思ってる。

(いやまって、脱線しすぎだろ…DoLLsの解釈ブログどこ行った??)

 

ネームバリューで遊ばないで

 

北海道2日目の開演前、一緒にログインしてくれた手越担がこんなことを言っていた。「女の子のアイドルも何人か好きなんだけど、名前をネットで検索すると必ず隣に手越祐也って出てくる。絶対に好きなタイプじゃないのに」

「この子とのうわさが出るのはおかしい」と手越担が言うのなら本当なのだ。だってどれほどの週刊誌の記事を見てきたことか。

どの記事の信憑性が高くてどの記事がでたらめなのかは大体タイトルで分かる。手越担ナメんな。

どうして嘘の情報を平気で流せるのか、それは「手越」という苗字があまりにも珍しく、端的にブランディングできるからだと思う。

彼がNEWSの名を売る為に作った「チャラい」というキャラを悪用する大人が本当に多い。

彼の名前を記事上で、タイトルで使うだけでアクセス数がどんどん伸びる。書けば書くほどお金が入ってくる。ファンが勝手に大騒ぎして広めてくれる。またアクセス数が伸びてお金が入る。なんて楽な仕事なんだろう。そして、名前を出されている本人にほとんど利益は無い。名前を出すことでお金を取れるわけでもない。

なんなんだ。地獄じゃないか。そりゃ「俺は人形なんかじゃない」なんて言いたくもなる。

でも彼は、「俺は人形なんかじゃないのに…」という歌い方はしなかった。「うるせえ!俺はお人形なんかじゃねえんだよ!!!」という姿勢でい続けてくれた。

お願いだから「手越」の名前で遊ばないでほしい。利用しないでほしい。

彼は生身の人間だ。美しすぎて私でさえ時々それを忘れてしまうけど、生きている人間だ。完璧を装おうとしてる不完全な人間だ。

どうか彼の名前でお金を稼がないでほしい。いたずらに傷つけないでほしい。

だって「人形なんかじゃない」んだから。

 

「みんなにも向けた曲」の真意は?

 

アルバム発売周辺で聞かれた発言。雑誌だったかネットだったか記憶があいまいなんだけど…。どうして彼がこんなことを言ったのか、よく分からないな。と思った。私たちはほとんどが一般人で、彼のように格段目立っているわけではない。確かにそれぞれ苦しんでいることはあるけれど、それでも彼の苦しみに比べたら大した問題ではないと思う。

「みんなにもこの苦しみを理解してほしい。みんなのせいでこんなに苦しんでるんだよ」ではない気がする。

「みんなも日々辛いこととか悲しいこととか多いと思う。でも負けちゃダメだよ。人形になんかされるなよ」と、私はそう言われている気がした。

多かれ少なかれ、確かに私たちにもそういう経験がある。それなりに理不尽な想いもしてきてるし、世の中の不条理にもぶち当たる。I’m commingの手越くんは不条理な事があると忘れるほど抱いてくれたけど(大真面目)、DoLLsの手越くんは代弁して立ち向かってくれている気がする。「俺は人形なんかじゃない」の「俺」は手越祐也だけじゃなくて彼を愛する私たちも内包されている。一緒に戦ってくれている。なんて心強い、なんて勇敢な人なんだろう。

シゲちゃんの「世界」は「私達の世界に置き換えて」聞けるように作られたと語っていた。

私達には私たちの世界があってそれぞれに苦しみながら葛藤しながらも生きていて、その「世界」に寄り添えるように、当てはまるように小説のような歌詞*3になったのかな、と思ったし、そういう形でアイドルに支えてもらえるファンは幸せだな、とも思った。

DoLLsは一見派手で異世界の歌のように感じるけど、実は私たちの「世界」に置き換えたらやっぱり一緒に戦ってくれている。全然違う歌のようでこの2曲はそういう部分が共通しているように感じる。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

なんかソロの話してるのに結果的にメンバー全員出てきたな。なんでだろ。きっと「NEWS」手越祐也のソロ曲だからNEWSメンバー抜きには語れないんだと思う。そういうことにしておいてほしい。

 

長々とつらつらと書いてきたけど、「全部ちがうよ!俺自身もよくわかんない!かっこいいから何となくこういう演出にしたの!Xさんとかhydeさんとかこういう感じでしょ?なんかやってみたいなあーと思って!」なんて本人が言ってくれたらすごく気持ち的に助かるなあ、というか楽だなあ、と思う。

でもアルバム発売当初の雑誌で「ソロ曲にはその一年感じてきたことを入れるようにしてる」

とコメントしているのを見てしまった以上、そんな楽観的に捉えることは出来なかった。

きっと世間がみる「アイドルらしからぬチャラい自由人・手越祐也」はそんな感じなんだろうけど私たちがみている手越祐也はもっと闇が深い。でもそれは悪いことじゃなくて、光の部分が強くなればなるほど影(熟考する部分)が大きく濃くなるのも当然で、それが一般人の中でも一番彼に近い私たちに少しでも見えているなら、私は少しだけ安心できる。

 

ネット文化が広がってお互いの顔が見えなくなって、どんどん一人一人の発言が過激になっていって、アイドルが生きていくにはあまりにも世知辛い世の中になった。それでも今日も「アイドル」で居続けてくれる彼に感謝と尊敬しかないし、そんな彼の隠された本音が少し見れただけでも少し安心した。ほとんど憶測の解釈と私的理解にまみれてたけど。

 

全部踏まえた上でやっぱり私は彼のファンでいたい。希望と覚悟と夢と熱意と零れ落ちるほどの愛と、ほんの少しの絶望を胸に生きる手越祐也のファンでいたい。

 

人形なんかじゃない、意志のある人間だから。

*1:でも間違った噂が拡散されているのであればそれは全力で否定していくべきなのかな、とも最近考え始めた。

*2:その上でNEWSのイメージカラーが白なのだとしたら少し納得できる。「何かの色ではあるけれど限りなく無色透明の等身大に近い色」だと思うから

*3:シゲちゃんのソロ曲はいつも小説的だけど。今回は世界観が限定されていなかった感じがした。